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弱音も不安もチャレンジの証拠

この間、ふとNHKで室谷義秀さんと中野信子さんの対談の番組を見た。

www.nhk.or.jp

内容はなんとなく流し見していたんだけど、脳科学者の中野信子さんがまさに「研究者!」って感じで興味津々にエアレースパイロットの室谷義秀さんの話を聞いていて、お姿は美しいんだけど、ちょっと座ってる姿が両ひざの頭が離れてたりして(大股開きって程ではないけど、きちんと閉じてはなかった)、えらく親近感をもってしまった。その中で、最後のほう、室谷さんが中野さんの研究室を訪ねて、室谷さんがいつも試合前にはものすごく緊張する、とおっしゃった流れで、中野さんが、「不安や弱音は口に出して言語化して認知したほうが、その物事の成功率が高い」という話をしてて、おお、いい話やな、と思った。たまたまその日、会社の同僚の話(というか愚痴)を聞いたというのもあったので、その話に反応したのだと思う。

同僚の愚痴を聞きながらいつも思うこと

その同僚、とても明るくていい人なのだが、口を開くとするとすべて愚痴(に聞こえる)で、まあ、愚痴を聞くくらいはまあまあ許せるのだが、とにかく会うたびに同じ愚痴ばかりなのである。その人とは付き合いも長く、数年前からいつもいつも同じような愚痴を聞いている。最初はあれこれ提案してみたりしたが、ある時から、ああ、これアドバイスを求められているわけじゃないんだな、と思い、話し始めたら、ただ、うんうん、と聞くようにした。嫌いになるというほどではないけれど、私とは違う生き方、価値観なのだなあ、と静かに思い、聞いた後はほんのり疲れる。そんなことがあったので、その番組を見ながら、「そうかあ、あの愚痴も必要なことなのかな」と思った。でもよく考えたら、”弱音や不安”と”愚痴”って根本的に違うところから来るんじゃないの?という疑問がわいてきた。

”不安や弱音”と”愚痴”は何が違うのか

goo辞書を見ると愚痴の定義は以下のようになっていた。

言ってもしかたのないことを言って嘆くこと。「くどくど愚痴を並べる」

弱音はこんな感じ

力のない物言い。また、意気地のない言葉。「弱音を吐く」

不安はこんな感じ。

気がかりで落ち着かないこと。心配なこと。また、そのさま。「不安を抱く」「不安に襲われる」「不安な毎日」「夜道は不安だ」

 ふむふむ。私のイメージはあながち間違っていない感じがする。愚痴は自分ではどうしようもない、しかたのない(とその人が考えている)ことなのだ。つまり、自分ではその物事をどうにもできないと思っているということだ。愚痴を言うときは、前に進んでいるときやチャレンジしているときではなくて、「停滞」しているときなのでは。さらに言うと、その停滞を自分の周りの自分にはどうしようもない(と思えること)のせいにして、責任転嫁したいときなんでは。愚痴は、仕方がないことがいっぱいで、それは自分のせいではないのだから仕方ない、とあきらめて、いろいろ言いつつも変化や前に進むという気はない時に出るものなのでは、と思う。だから、アドバイスも求めない。

私も愚痴が多いころがあったし、今でも愚痴ることもある。特に愚痴が多かったころはいつも「会社のこのシステムが悪いから○○だ」とか「上司がこうだから○○」とか、自分にはどうしようもないことをぐじぐじと考えていた。考えるだけで、別にシステムを変えるように働きかけることも、自分の働き方を変えるわけでも、上司に物申すわけでもなかった。せいぜい同僚に愚痴を言うくらい。本当に嫌だったら、職場を変えることだってできたのだけれど、その勇気は出なかったのだ。

じゃあ、弱音や不安はどうなのかというと、何か乗り越えたい(なければいけない)課題があって、それを乗り越えられるかわからない、というときに出てくるように思う。不安については、漠然とした不安というやつもあるのだけど、その話は今回は置いておく。新しいチャレンジをするときは私は毎回不安になって、弱音を吐いているなあ、と思う。「私にそんなことできるかな」「うまくいくか不安だ」とか、いつも長期出張に出る前は、緊張して不安になり、弱音を吐いたりする。私ってなんて弱いんだろう、とそのたびに思うのだけど、でもそういう時は何か新しいことにチャレンジしているときだ。チャレンジをすると何かが変わる。変わった何かが自分にとっていいか悪いかはやってみないと分からないけれど、自分が動いた結果だと思うと、さあ、次はどうしようか、と前を向きやすい。自分で動いた結果、人生が動く経験が積み重なっていくと、自信の核のようなものができて、それが少しずつ育っていく。自己肯定感はつくれる。

チャレンジする勇気は筋肉みたいなもんで

何か課題に向かった時の弱音も不安も、チャレンジしている証拠だ、と思えれば、少しは元気になるなと思った。チャレンジには勇気が要る。勇気は筋肉みたいなもので、使い続けると強く鍛えられていくし、使わないでいるとすぐに衰える。勇気が衰えてくると、愚痴が増えるのではないかな。自分が本当に欲しいものを隠すように愚痴ばかり言っていると、癖になる。自分がどうにもできないことは、どうにもできないのだから、一旦考えるのをやめてみる。必要なら信用できる人に愚痴だと断って吐き出すのもいいかもしれないけど、愚痴を日常的に言うのを癖にできるように、自分にどうしようもないことは一旦考えるのをやめるのも癖にできるはず。その考えるのをやめたメモリで、さあ、私はどうしようか?を考えてみる。

他人の愚痴のゴミ箱にならなくてもいい

あとは、うまく付き合うべきなのは、他人の愚痴も同様だ。人の愚痴も自分のキャパに応じて聞くのをコントロールするのもよいと思う。愚痴は言い捨ててすっきりする心のゴミみたいなものなのだから、自分自身がそのゴミ箱に進んでならなくてもいい。しんどい時は、はっきり断ると決める。そうすると、自分のゴミ処理に集中できると思う。自分を大切にする、とよく言うけれど、自分をゴミ箱にしない、というのはその方法としてとても分かりやすい。どうせ愚痴を聞くなら本当に大切な人のものだけにしたい、と私は思う。

 

すぐに勇気をくじかれて、愚痴が出そうになる自分自身へ自戒を込めて

 

おしまい