読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

知らない人が集まる会をやるレベルにあなたは達してない

感情 日常 自尊心 自己啓発

私は現在月に1度編み物の会を開いているのだが、先日、私がこことは別に使っているのブログの方にその会に参加したことのある人からコメントが入った。それは批判的なコメントであった。

「あなたは主催者なのに気配りができてない。全員が交流できるようコントロールすべき。あなたは下を向いて編みながら話をしていていいのかもしれないけれど、そうではない人もいる。知らない人が集まる会をやるレベルにあなたは達してない。」

というような。もう一つのブログの方にはたまに批判的なコメントが入ることがあるので、こういうのははじめてではなかったが、一応、一通り怒り、動揺した。一通りムカムカしたあと、冷静に考えてみると、この人、

・多分私のブログの読者で

・ブログ経由でその会に実際に参加し(会の参加は別サイトがあってそこから申し込むようになっている。別サイトには私のブログを見つけられる手がかりはないので、ブログ経由で参加したのだろうと推測される)

・参加したものの期待していたよりも私のやり方がダメだったため、私のやり方に意見するために、わざわざそのブログのアカウントを作り(コメントはアカウントがある人限定にしていて、その人のアカウントにはブログの記事がないことから、コメント用に新規作成したのだろう。読むだけならアカウントはいらないから)

・コメントを書いてきた

のである。わざわざ大変だったなあ、お疲れ様です。コメントのタイミング的にも、参加している態度でも、たぶん前回の参加者のあの人だろうな、というあたりはつく。おとなしくて、あまり自分からは話さない、質問があっても言い出せないようなタイプの人だった。終始あまり笑顔はなく、隣の人達と楽しく会話するでもなく、ひとり携帯の画面を見ながら、必死に編んでいた。初心者と言っていて、集中しているようだったので、特に声もかけず、そのままにしていたのだが、もっと話しかけてほしかったのだな。

そんなのしるか!

 

優等生的に言えば、ブログを読んで、私にとても期待してくれて、私のことをいい人だと思ってくれていたのだろう。その期待を裏切る結果になってしまったことは残念だなあ、とは思う。思うけれども、 自分が期待する通り、自分の理想通りに相手が動かなかったことを、相手に「失礼ですが」とか「不躾ですが」とか言いながら、相手が確実にダメージを受ける言葉を選んでコメントをしてくるあたり、めんどくせえやつだな、と思った。ブログを読んでいるなら参加前に一声コメントしてくれればいいのに、それすらできず、でも、貴重な休日にわざわざ会に参加して、参加したのに私に直接ブログの読者であることも伝えず、出席した後に匿名でネットで文句を言ってくる。本当に、失礼だし、不躾だっつうの。それだけ嫌な思いをしたということだったのかもしれないけれど、これまでの数回で私から何か嫌になるようなことをしたような覚えはないし、参加者は皆ニコニコしながら「ありがとう!また来ます!」と言いながら帰っていった。その中に、この人がいたのだと思うと、なんか、ひぃっ!怖いっ!と思う。

皆が、とか、知らない人が集まる会で、とか自分じゃないものを主語にして、全体について、皆のために、語っているようで、読めば読むほど、本心は「自分が満足できなかった、寂しかった、居場所がなかった」ということなのだなあ、と思った。初対面の私にそんな本心を言うのはとても恥ずかしいので、批判という形で私に突きつけた。多分本人はそれすら気づいていないと思うけど。

昔なら、これは成長するための貴重な機会だから、立ち止まって考えなければ、とか、私が気配りできないから、とか、自分のことを責めたり、このコメントの主のことをせめて恨んだりしていたと思う。他の参加者のことも全部疑ったりとか。別にこのコメントの中の人のこと、好きじゃないけれど、分析対象としてはとても面白い、と思う。昔の私の思考回路を見るようで、とても恥ずかしいけれど、とても興味深い。

自分に自信がなくて、自分を否定されたり、批判されたりするのが怖くて、でも誰かに自分のことを理解してもらいたくて、なのに誰にも理解できないと思って絶望してる。基本的におとなしく従順なのだが、周りを常識とか正しさとか、で勝手にジャッジしている。どうせ自分はだめだからとか言いながら、周りが自分の良さを認めないことを見下し、周りに対して怒っている。自分に自信がないから、「ちゃんとしなきゃ」と思って、一生懸命頑張るけれど、その結果が報われないと嘆いて、報われないことを誰かや、何か自分じゃないもののせいにして、殻に閉じこもり、助けてが言えない。自分がこんなに頑張っているのに、相手は全然頑張ってない、完璧じゃないことが我慢ならない。自然体な人(ちゃんとしてない人)を見るとイライラする。ぼーっとしてる人とか、幸せそうな人が軽薄に見える。自分が今何をしたいかわからない。自分の気持ちがわからない。自分の気持を優先する人を見るとわがままだと思う。自由に生きている人が羨ましいけれど、腹が立つ。自分なんかが、あんな人とはお話できない。と思うけれど、あの人が話しかけてくれなかった、〇〇してくれなかった、と影で腹を立てる。自分に自信がないからほしいものをほしいと言えない。言ったってもらえない、手に入らないと思ってる。

…そういう、昔の私のような人。いまだって、調子が悪い時はすぐ顔を出す、卑屈で、自信のない、私。

 

ブログを書いたり、会を主催するようになって、私は昔の私と出会うことが増えた。実際にブログにコメントを残してくれる人や、今回のような批判をしてくる人に昔の私の影を見る。ああ、私はこんなふうに見えていたんだ。だから、ちょっとさびしい思いしかできなかったんだ。と見ていて思う。それがわかるから、自分がなり台風になるにはどうしたらいいかも、ほんのすこしずつだけわかってきたように思う。

それは、私が、「知らない人が集まる会をやるレベルにあなたは達してない」ままでも、一歩踏み出して始めてしまったからだと思う。このコメント主は、すべての人は何かの資格を持ってから、それを始めなければならない、と思っているようだが、何かを始めている人で、最初からうまくできた人とか、その資格があった人なんていない。どんなひとでも。こういうコメントを臆面なくかけるということは、このコメント主はいつも「準備」ばかりしているのだろう。痩せたらこの服を着るから、と言って後生大事に服を取っている人にその服を着る機会は来ない。たとえ来たとしても、その頃には流行遅れになっている。このコメント主には私が一歩踏み出して始めたときのいろんな葛藤や勇気を想像すらできないのだろう。パーフェクトでないまま、戦いのアリーナに出ていく人がどれだけ勇気を振り絞るのか。自分の中から次から次へと湧いてくる、not enoughとかやらなくていい理由と戦ったことも、その人は知らない。

もしこのコメント主といつか語り合える日が来たら、私はこの本を勧めようと思う。 

本当の勇気は「弱さ」を認めること

本当の勇気は「弱さ」を認めること

 

 自分の弱さが認められたら、相手の欠点や弱さも許容できるようになる。それは楽に生きれるようになる第一歩だと私は思う。

 

おしまい