本当の自分はいっぱいいる

「分人主義」は、中学生の必須科目にしたらいいと思う。|桜林 直子(サクちゃん)|note

 

小学校から、社会人の5年目くらいまで、いつも一緒の自分でいられないことが受け入れられなかった。すぐに自分の素が出せずに人と馴染めない、自分のことが許せない。本当の自分を偽っているようで、なんで、あの陽気で優しくおしゃべりで人を笑わせられる自分をそのまま出せないのか、苛立っていた。相手によって態度を変えたり、相手の様子を伺ってしまう自分がとても情けなくて、そういう風にする自分を責めてた。「いつも」優しくて、「いつも」人当たりが良くて、「いつも」人を笑わせて、「いつも」明るくて、「いつも」人に好かれる、ハイテンションの私だけが本当の私だと思ってた。人と一緒に行動すると、疲れてしまって本当の自分ではなくなってしまい、その度に本当の自分からかけ離れた自分にイラつき、それを周りのせいにしたり、がっくり落ち込んだりしてた。その頃のわたしは客観的にみて、常に不安定で、怒りっぽく、扱いにくい人だったように思う。

ある日、何のときだか、本当の自分などいなくて、どんな自分も自分なのだ、という文章を読んだ。わたしは目から鱗で、そうか、イライラしたり、意地悪だったり、疲れたり、人のせいにしてしまう時があったり、慣れていない人にはやたら丁寧で弱気になったり、人見知りをしたりしてしまう自分も、全部自分なのか、と衝撃を受けた。まあ、それからすぐに自分のことを全部受け入れられたかというと、まあ、そんなことはなかったけれど、自分を知り、受け入れる作業の1番大きなきっかけになったな、と思う。

 

今、出張中で、毎日、朝から晩まで同僚と一緒にいて、昼ごはんも夜ご飯も一緒だ。慣れた人たちとはいえ、気を遣うし、疲れる。ずっと話しているし、仕事ぶりを見ているから、同僚の素晴らしいところもダメなところも、うんざりするくらいわかる。この人は紳士で調整能力がずば抜けて高いけれど、差別的な単語を好んで使うし、エゴの強い人だな、とか、控えめで穏やかで無口に見えるけど、綺麗なお姉さんがとにかく好きな人だな、とか、そういうの。ご飯の趣味も、息抜きに何をするのかも、バレバレだ。国内にいる時より、ずっとはっきりわかる。

そんな、ストレスの大きな環境で、毎日、昔のように不機嫌になったり、つっけんどんになったりしないで、普通にしていられるのは、自分が普通にしていることをオーケーにしているからだろうと思う。普通にしているとはつまり、ぼーっと何もしないで窓の外を眺めてみたり、人の話に「はー」とか、「おー」とか、「へー」とか、テキトーな相槌を打ったりとか、べつに優しくもなく、丁寧でもなく、人の顔色を伺いすぎることもなく、かといってつっけんどんでも、攻撃的でもない状態のことだ。前はこの普通すら、自分で許せず、無理してご機嫌に振る舞う→疲れる→不機嫌になるというサイクルにはまっていたけど、今はそういうことが減った。

わたしが気を遣って疲れるように、きっと、その同僚達もわたしにわからないように気を遣ってくれたり、気配りしてくれたりすることがあるのだと思う。そして、やっぱり疲れたりしつつも、なんとか普通に接してくれているのかもしれない。同僚達には、わたしのいいところも悪いところも、きっともうすでにバレバレなのだ、多分。

まだまだ、自分のことはよくわからないし、正直、自分に価値を見いだせず、生きていていいのかわからない日もいっぱいあるけど、それすらわたしの一部に取り込んで、死ぬまで大切にできればいいな、と思う。

 

おしまい