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弱さを見せる強さとは

弱さを見せるってどういうことだ?

この間、恋愛関係のセミナーに行って、自分の今の恋愛について講師の人に少し話をした。(その講師の人は自信に満ち溢れていて、そういう関連の人にありがちな胡散臭いところがなく、とても素敵な講師の人だ。とにかく、言葉の選び方がステキで、大好きな人なのである。)今付き合っている彼(遠距離)に、付き合いはじめのころ「僕と会いたい?」とか「スカイプしたい?」とかって聞かれて、なんだか高圧的な感じするなーと思ったのだけれど、これはどういう意味なんでしょうか。と。講師の人はハッキリと

「それは、彼に自信がないのよ。」

と答えた。続けて

「どんなふうにこたえてるの?」

と聞かれたので、

「なんとなくその質問にはあいまいに答えて、君はどうなのって聞き返したりします」

と答えた。講師の人はこう続けた。

「高圧的な感じがするっていうのも、それはあなたの考え方ね。もし自分が彼氏に、私のこと好き?って聞くとき、きっとあなたは不安だから、自信がないから聞くでしょう?そういう時はきっと、好きだよって答えてくれたら自信が持てるわよね。なぜあなたは彼に、会いたいよ、とかスカイプしたいよって答えないの?今まで答えたことはある?たとえば、さみしいよ、とか言ってみたことはある?」

私はさみしいとか、好きだとかは彼に対してほとんどいうことはない。

「いえ、伝えたことないです。」

なぜ、さみしいって伝えないの?

「なんか、付け込まれるような気がするから」

「つけこまれる?どういうこと」

「なんか負けてる気がするから」

「はっきり言っちゃうけど、それはエゴよ。何か怖いことがあるのね、だから、戦っちゃうし守っちゃうのね。でも、鎧兜着て槍を持った人のところに近づきたいと思う?思わないでしょう?さみしいとか、合いたいとか、そういう弱いところ見せるのも、恋愛には必要なことなのよ。ちゃんと言いなさいね。弱いところを見せるのも強さなのよ。」

なんというか、がーん、という感じだった。でも解説できないもやもやが私の心の中に残った。弱さを見せないのはエゴ。弱さを見せることは強いこと。

弱さを見せないのはエゴ?

 私はとことん弱く、依存性の高い人間なのだと思う。だから、人前では自立した女性としてふるまってきたし、自立にすごくこだわって生きてきた。もし、そんな弱さを誰かに見せて甘えてしまったら、きっと重い女になるし、とことんだめな人間になりそうな気がしている。できるだけ相手には好きだと言ってもらう側でいたいし、さみしいだなんて口が裂けても言いたくない。だいたい、さみしいのはいつものことなんだから、感じるたびに言ってたら切りがないじゃないか。

しかし、私は非常に素直な人間でもあるので、講師の人のアドバイスに従い、彼に

「さみしい」

とメッセージを送ってみた。そこまでさみしいと感じてはなかったがとりあえず。周りの人も送れ送れっていうので。次の日(時差があるので次の日になってしまう)そのメッセを目にした彼は即時で「僕もだよ」と返信をしてきた。大概、彼はその日の真夜中、寝る前にメッセージを返す。その日は、即時だったので珍しいこともあるもんだと思った。前にも一度、ちょっとどうしようもなくなったときに同じようなメッセをしたことがあるが、その時もほぼ即時に返信が来ていた。あれ、なんか、私、彼に好かれてるかもしれない。そういう、メッセージをウザイと思ってしまう男性もいるだろうに、受け止めて、同じように返してくれる人というのはなかなか貴重なのかもしれない。

…ちょっと論点ずれた…

で、見せるべき弱さ、というのは何か、という話である。たまに「さみしい」とか「会いたい」とかいうのは許容範囲としても、「なんで返信くれないの?」とか言って泣き出す、とか、そういうのは面倒だろう。

弱さを認めるのは強いこと?

弱さを認めるのは強いことなのだろうか。自分の中のもじゃもじゃしたいろんな弱さはまっとうに素直に生きている人の比ではないくらい大きいと思っている。自分の中に確かにあるけれど、それを他人にどーぞどーぞと見せるなんて、自分勝手のわがままにしか思えない。

結局、私はありのままの私を認められないでいるのかもしれない。認められないことは外に出すことが出来ない。そんなお粗末なものを外に出すことは公害なので、許してはいかんと思う。だいたい、ありのままの私になった雪の女王エルサは王国を凍りつかせて最愛の妹を瀕死の状態にしてしまったじゃないか。

私って、親がアルコール依存症だったから、人よりずいぶん偏っているところがあってね、恋愛は怖いし、自分も依存体質になりそうで怖いし…  みたいな話を彼にしろっていうのか。正直、できない。なぜなら、それは自分自身で乗り越えなきゃいけない話だから。彼には関係ない話だから。

だから、不安とかさみしさも、自分の中の問題だと思っていて、だれにもそれを埋めることはできないと思っている。自分の中の問題を彼にわざわざ言って、何かを背負わせたくはないし、彼に解決してもらおうとも思わない。男の人は女の人の話を聞くと問題解決したくなってしまうらしいから、こういう話をして問題解決に乗り出されても、彼にはどうしようもない問題なのだから、解決できない。そして、彼は問題解決できない自分が嫌になるんではないか。

書きながら理解できてきたけれど、つまり、彼に見せていい弱さというのは、かなり限定的なものだということだろう。彼が受け止めて解決できる大きさのもの。つまり、「さみしい」とか「会いたい」とか、その程度のものだということ。もしそれがすごく仕事が忙しくて会えないときだったりしたら、途端に彼の解決できない大きさの弱さになってしまうということだ。そうすると、いきなり面倒になる。

彼に解決できる大きさの弱さだけを提示する。たまにギフトとして。

つまり、弱さを見せるときは、かなり細心の注意を払う必要があるということだ。ああ、めんどくさい。ライトで、彼の処理できるぎりぎりの大きさで、彼に満足感とか自信を持ってもらうようなものを提示する。それは、自分のためというよりもむしろ彼のために、ギフトとして用意する。自分が楽になるために出す弱さなんて、やっぱり醜い。

でも。

自分でもどこかで、そういうところを誰かに受け止めてもらいたいと思う気持ちがある。もう、それを誰かに解決してもらうことなんてとっくの昔にあきらめたはずなのに、大切な人であればあるほど、それを見せたいと思ってしまうのだ。ああ、人と付き合うってなんて面倒なんだろう。だれかと付き合ったら楽になれるって、嘘だ。強がりも愛情のうちだって、誰かに言ってほしい。