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無常を目的に生きる?

この間、最近知り合ったアメリカ人とチャットをしていて、京都に定住したいとかいう話になって、なんで?と聞くと

無常と無心を伝えてくれるから。それが僕の生きる目的なんだ。人とは違うかもしれないけど。

とかえってきた。

…こいつはお坊さんになりたいのかな… 。確かに人と違うけど…。笑 

という感想を持ったものの、なぜ、私も無常は生きる目的じゃないだろ、と思ったのかうまく説明できなかったので、そーなんだーとか言ってテキトーにお茶を濁した。これぞ日本人的リアクション。

無常とは?
さて、そもそも無常とはなんぞや。
現象世界のすべてのものは生滅して、とどまることなく常に変移しているということを指す。釈迦は、その理由を「現象しているもの(諸行)は、縁起によって現象したりしなかったりしているから」と説明している。-Wikipedia 
 《(梵)anityaの訳》仏語。この世の中の一切のものは常に生滅流転(しょうめつるてん)して、永遠不変のものはないということ。特に、人生のはかないこと。また、そのさま。「―な人の世」「諸行―」⇔常住
 人の死。
「―の来たる事は、水火の攻むるよりも速やかに」〈徒然・五九〉
-goo辞書

正直よくわからない。 常に物事が動いていて、永遠なんてないんだよ、ということらしいのだが、これが人生の目的になるのか?あくまで世界観でしかない気がする。人生の目的、を言い換えれば、なんのために生きるか、ということになるんだろうが、やはり、なんの、というところに無常が入るのはおかしい。彼の理解がイマイチなのか、私の理解がイマイチなのか、文化的な違いなのか…

桜とヒグラシと紅葉と雪がある国
無常と聞いて私が思ったのは四季の移り変わりだ。桜の美しさには切なさがセットであり、ヒグラシがなくと夏の終わりの匂いがして、そうこうしていると葉っぱがいろづいて、雪が降って、また春が来る。
そして、春には嵐が来て、梅雨に雨が降り、夏にゲリラ豪雨が来て、秋雨で土砂崩れ、大雪で大わらわ、地震は毎日のように来る。災害のニュースは途切れることがない。いちいち胸を痛めて、でも仕方ないと前を向く。それ以外に方法がないから。
私にとって無常とはそういう人間の営みのことだと思う。諦めに似た何か。諦めながらも諦めない、芯強さのようなものかもしれない。

無常は人生の目的になりうるか
そう考えると、私はやはり無常は目的にならない、と思う。人生観にはなりうるけれど、無常は目指すものではなくて、もうここにあるものだから。
じゃあ、君の生きる目的は、と聞かれるだろうけど、私は生きることに意味とか目的はいらないと思っている。だって、生まれて来ちゃったんだもん。ただこの身体と心を使い切って生きただけで、十分だとおもうから。
私は日々変わる。もともと私は無常なのだ。毎日細胞が入れ替わり、新しい自分になる。新しい自分がその日をどう生きるか、私はそれに興味がある。
今度また、彼とチャットの機会があったら、もう少し詳しく話を聞いてみよう。目的にして生きるとは具体的にどういうことなのか。なにを目指しているのか。ちょっと面倒な気もするが…