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誘う人、誘われる人案件

人間を2種類に分ける方法として、私はひそかに、人を何かに誘う人、誘われる人というのを採用している。ちなみに私は完全に誘う人。昔はこれがかなりコンプレックスで、なぜ、私は誘われないんだろうともんもんと考えていた。考えた末、「誘う人」であることを受け入れて、開き直った。どんどん誘ってやろうじゃないの。と。 と、それだけの話なので、興味ない方は後ろ長いのでスルーしてくださいね。

 
これまで誘うことに関して私は3段階ほどのステージを経てきた。
 

ステージ1:私が誘わないとひとりぼっちになっちゃうんじゃないか期

私の誘う人歴は長い。多分中学生位の頃から幹事役を買って出ていた。当たり前のようにやっていた。
高校を出て、他県の大学に行った私は、帰省の度に仲間に律儀に連絡し、地元に帰れば、実家でごはんを食べる暇もないほど、昔の仲間に会いまくっていた。日程を組み、連絡を取り店を探し、会う。大学生の頃はなんとなく苦しく感じながらもなんとかやっていた、社会人になって、帰省の連絡や、日程調整が義務のようになっていることに気づいた。私が思うほど、他の人は会いたい、集まりたいと思っていないのでは?多分これが誘う誘われる問題を考えはじめた発端だ。
私は当時自信がないのをこじらせていたので、自分から誘わなければ誰も私と会おうという人などいないだろう、と思っていた。だが、同時に、私が誘ってやっている、というような気持ちもあった。どちらにせよ、自己肯定感が低いことが出発点で、誰かに何かをしている時は、とにかく見返りがないことに耐えられないものだ。「自分から誘わなければ自分には価値がない=誘えばみんなが私を必要として感謝して当然」という論理で動いていた。皆が私に言ってくれていた「誘ってくれて、企画してくれてありがとう」という言葉は私の耳には全く入っていなかった。とにかく、誰も私に何もしてくれない、私はこんなにがんばっているのに!という気持ちだった。
 

ステージ2:誘うのをやめてみた期

社会人になって、私が思うほど他の人は私に会いたいのではないのではないか、と考えはじめた途端、私は勝手にとても悲しい気持ちになり、mixiに何日から何日まで地元にいまーす。という一文を書き込むのみにした。そして、連絡が来た人にだけ会うようにした。その結果、地元のメンバーでだんだんと会う人は限られていった。

地元の方はかたがついたが、次は大学の同級生との集まりで私はまだ誘う人の役割を勝手に背負いこんだ。(誰も頼んでないのに。)社会人になると、連絡を取ったり、日程を合わせたりが途端に難しくなる。みんなメールを返さなくなるし、ドタキャンもあるし、店への連絡もかなり負担だった。企画・連絡はやるが、店決めは他の人にお願いする、などの分業制も始めてみたが、何度も「やっぱり集まろうと思うのは私だけなのでは」と落ち込む。そしてある日、失恋と生きづらさが重なって絶望した私は、snsの更新を一切やめ、自分から誰かに連絡することをやめた。

自分から連絡を絶ってみると、本当にパタリと誰からも連絡が来なくなった。 もちろん、私は絶望を深めた。少しすると、仲間から「最近、全然更新してないじゃん、生きてんの」と連絡をもらうこともあった。そのことはちょっとは嬉しかったが、「連絡をくれない人には、こっちから連絡なんて一生するもんか!」と拗ねた。必死に「ないこと」探しばかりしていた。

そうやって拗ねてもう少し時間が経つと、たまに「会おうよ」という連絡ももらうことも出てきた。「あれ?私も全く誘われないわけではないのか」と思うようになった。紆余曲折を経て、大幅な凹みからは徐々に回復し、精神的に安定していくにつれ、ある日、ふと、気づいた。誘われることってすごく頻繁にあるわけじゃないから、誘ってくれるのってとっても嬉しいなあ。ありがたいもんだなあ。あれ、そう言えば、私も誘ってた頃はよくありがとうって言われてたなあ、と。やっと、「あること」に焦点を当てることができるようになった。

 「ないこと」はもともと「ない」のだから、それに悲しんでいたところで「ある」ようにはならないのだな、と当たり前のことにやっと気づいた。29歳である、遅すぎる。自由になるのは自分の手の中にあることだけ。だからこそ、人から何かもらうことはものすごく貴重でありがたいことなんだ。と心の底から思えるようになった。そして、突然人からの「ありがとう」が心に響き始めた。そこからは、何かを誰かにすることよりも、誰かからの好意(行為)を受け取ることに集中し始める。

 ステージ3:好意を受け取る期

 完全に絶望期から回復した私は、徐々に普段の誘う人の本領を発揮するようになる。思いついたアイデアにのってくれる人と、それを楽しむ。あー、日本酒が飲みたい、花見したい、野外でビール飲みたい、渓流でボーっとしたい、山行きたい…などなど。誘うメンバーは適当、気が向いた人にメッセージを送って、都合がいい人と会う。メンバー同士が初対面だろうがお構いなしである(乱暴)。私が誘う人だからだと思うが、私の仲間は「誘われる人」の割合が圧倒的に多い。理由は分からないが、企画にのってくれる「誘われる人」は初対面でもあっさり打ち解け楽しそうにしてくれる。私は超小心者なので、誘った手前みんなが不快にならなきゃいいけどと心配しているが、みんな慣れたものである。

前は企画するとき、メールの返信がおそいとか、ドタキャンばっかり、とか何かにつけてイライラしていた。今も、そういう感情が出なくもないが、ずいぶんと楽になった。誰かがその企画にのってくれることが単純にうれしいし、ありがてえなあと思う。そして、その人たちからもらうこともある「ありがとう」をしっかり受け取ると、じんわりあたたかい気持ちになる。

結論。もともとの性質上、誘う人が性に合っているようだ

私はもともと内向的な性格で、どうもほんの少しアスペルガー風味があるので(計画の変更や流動的な計画にめっぽう弱い、なんとなく空気読めない、環境に慣れるのに人一倍時間がかかるなど)初対面はすごく苦手で緊張するし、誰かが企画して、場の流れに合わせて動くような何が起きるかわからない集まりはリスクが高すぎていつも二の足を踏んでしまう。今までの人生で、幹事役の経験はずいぶん積んできたし、人に頼って分業をお願いできるようになった今、ちょっとした飲み会の企画など朝飯前である。ならば、いつ来るかわからないお誘いを待って、ストレスをために行くよりも、自分から動いて、ストレスなく楽しめる場を作ったほうが楽だ。という結論に至った。あくまで、自分の欲求を満たすためだけに企画し、自分が一番楽しむ。それが最もストレスなく人と集まる方法だと分かった。次の企画は秋の味覚を日本酒と楽しむ会である。たまに手のかかる料理を作りたくなる時があり、そういう時は家に仲間を呼んで一緒に食べる。多分さんまを焼いたり、キノコ混ぜご飯を作ったりする。楽しみだ。

まとめ

いつも誘っていて、なんだか苦しいな、なんでだろうイライラする。みたいな人ははたまに誘うのをやめてみよう。幹事させられちゃう人は、断ってみよう。どちらもできなければ、ガンガン人を頼ってみよう。何かひらめきがあるかも。あなたが一番楽しめることをしてもいいんだよ。

誘われる人は勇気を出して、いつも誘ってくれる人をたまに誘ってみよう。多分喜ばれるはず。(企画は全部自分でしなくてもいいんですよ。うまく人を頼ってね)

 

ちなみに、明日、彼の誕生日おめでとう飲み会があって、それに誘われて、初対面の人と飲みに行ってカラオケに行くという、超ハードルの高ーい予定があるので、めちゃめちゃ緊張しています。泣きそうです。こんな気持ちになるなら自分で企画したほうが絶対楽!と思ったので、このエントリでした。

おしまい。