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人の気持ちの責任まで取る必要はないんだよね

人の気持ちの責任まで取る必要はない

友達と遊ぶとき、いい雰囲気になった男の子とのデート、上司、後輩。何を見ても何につけても、なぜか前は「私の動き次第でいいか悪いかが全部決まる」と思っている時期があって、何をしていても頑張らなきゃと、気持ちが休まらなかった。そんな私の得意技は反省会。でもあるとき、ふと、あれ?私のせいだけって思わなくてよくない?と思った。そして相手が不機嫌になっても100%自分のせいだとは思わなくなった。まあ、自分が確実に100パーセント悪くて怒らせちゃったりしたらそりゃ謝るし、凹むど、そんなことはそうそうない。そう思えるようになって、人と会うことがだいぶ楽になった。

自分で企画したイベントで必ず不機嫌になる私

特に、私は自分で企画したイベントではなぜかいつも不機嫌になった。たとえば旅行。ちょっとでも自分が疲れて口数が減ったり、相手と会話が続かなくなったりすると、腹が立って仕方ない。この旅行は失敗だ、なぜなら、私が不機嫌になってしまって台無しにしたから。帰りの飛行機や電車の中ではどんより落ち込んで何度も何がだめだったか反省した。

コントロールしたかった

なんで、そんな風に思い込んでいたのかと考えたら、全然相手のことを信頼してなかったんだろうなあと思い至った。その人はその人の感情を自分自身で処理する能力がある、その人の感情はその人だけのもので、私の心の動きでコントロールできるものではない。のよね、本当は。私は人の気持ちにおびえているようでいて、人のことをコントロールしたかったのだと思う。自分はできるだけのことをしている、みんな楽しめ、とか感謝しろ、とか思っていた。それで頑張りすぎて疲れて、自分が不機嫌になってみたり。我ながら意味不明だわー。 


西條剛央さんが洞窟で刀を研ぎ澄ましている - ほぼ日刊イトイ新聞

この記事の中で、反省をしないってところを読んで、ああほんと反省会って全然意味なかったと思った。何度も反省すべきことを反芻してイメージ強めてもろくなことにならない。何度もおんなじことをしちゃうし、そういう状況に自ら突っ込んで言っちゃうのよね。旅行で疲れて不機嫌になるんだったら、途中休めばいいだけなのに、「頑張ってないから、楽しくないんだ」って思ってたら、いつまでたっても不機嫌は直らないわけで。

最近は疲れることがあっても、不機嫌にはならなくなった。疲れたらしんどいと言って休むし。20代って生半可体力あるから頑張って辛かったけど、体力なくなってくると、なかなか頑張りも続かなくなる。年取るのも悪くないなと思っている。

雑ですみません。

おしまい