愛情を示すことってどうすることか

マッサン見てると、エリーがご飯を毎日1升ぐらい炊いてそうで、2人暮らしでそんなに炊いて大丈夫か…と不安。

今日も順調に、もやもやしている。明るい点で、希望に思ったのは、私は今までも自分のことについて考えてきて、それで乗り越えてきたのだから、それは褒めてやりたいなあ、ということ。また何か困ったことがあれば、同じように考えて向き合えばいい。相手がいる話でも自分だけの話でも、誠実に向き合う以外に私にできることはない。あとは前に決めた自分との約束をもう一度思い出した。愛情あふれる人生を生きること。

愛するってどういうこと

愛するってどういうことか。正直わかんない。それをすらすら語れる人の話はなんだか胡散臭い感じがするし、納得も出来なさそう。私もずっと愛するとかよくわかんないし、縁のない話だよなーとおもっていた。ちょっと青臭い話になると思うので、「けっ」て感じの方はスルーしてください。

今の彼氏と付き合いはじめて、1年以上経って、ある日彼が私に、愛してる、と言う様になった。人生で初めて言われたので、びっくりして、なんとかその場はありがとう、と言ってしのいだ。それから、私は愛してるってなんだ?とたまに考える様になった。なんとなくずっと愛情の飢餓状態で、愛されたことがない、愛って何それ役立つの?みたいな風に生きてきたので、どういう気持ちで居ることが愛することなのか、どうすれば愛してるってことになるのかよくわからないな、と思った。実は、好きという気持ちも「これよね」とは思えないので、愛するなんてところまで行くと、ほんとにわからんなと思った。さすがに、彼氏に「愛してるってなんですか」とは聞けないし、いろいろ読んだりして考えてた。
何かふらふらとネットで読んでいた時に、『自分がどんな愛情が欲しかったのか、どんなふうにしてほしかったのか、それを考えて、それをまず自分にしてあげること。そしてそれを他の人にも示すこと、そして愛情を示すことが愛すること』とあった。ほう、それならできるかも、と思った。
私の愛情の示し方は安定していること
私がほしかったのは、毎日同じ穏やかな日常だった。家に帰った瞬間、ほっとする、そんな日常がほしかった。帰ったらいきなり男親が死にかけて「今からお母さん病院に行くから、あんたたちは適当に食べて、明日も学校に行きなさいよ」といわれたり、自分の部屋が荒らされてめちゃくちゃになっていたり、テーブルの上のビールの空き缶を見て背筋が凍るような、そんな日常じゃなく。誰かがお帰りなさいって言って、お母さんに宿題しなさいって怒られたり、お兄ちゃんとチャンネル争いの喧嘩したり、たまに褒められたりする、平凡な日常がほしかっただけだった。
なら、私は私に安定した日常をプレゼントしてあげよう、と思った。そして、私のこと愛していると思ってくれる彼氏や仲間にもできるだけ一定の自分でいようと思った。そして、自分が一定でいられる環境を作ること、楽にしていられることを自分に許した。嫌な時は嫌って言うし、周りの目は気になるけど定時で帰るし、たまにはドーナツとか買って食べる。それも誰かに愛情を示すことだというのは、なんだか新鮮なことだった。
愛情を示せないと思ったらまずは自分に示そう
今これを書きながら思ったのは、一定の自分でいることを「しなければならないこと」にしてしまっていたなあ、ということ。完ぺき主義で白黒はっきりというのはACの特徴だ。少しでも自分が自分の考える「一定の自分」でいられなかったら、責めているし、そういられなくなったらどうしよう、嫌われるんじゃないかと思って不安になっていた。そうできない自分は許されない、と。
そもそも人間なんて不完全なのだから、「一定の自分」もある程度の幅があっていいのだし、誰かを不用意に傷つけたりしなければ良いわけで、そう硬く考える必要もないよなーと思った。ちょっと深呼吸して、まずは自分を少し許して、自分にしてあげられることをしようと思った。自分の食べたいご飯作って食べて、ゆっくり寝かせて。家の前の銭湯にお風呂つかりに行ったり、ゆっくりウォーキングしたり、ヨガ行ったり、映画とかドラマ見たり、編み物したり、自分が落ち着くこと、いっぱいさせてあげればいいんだよな。ちょっと周りのことは一旦おいて、自分を落ち着かせることに専念することにしよう。
 
書いたら、ちょっとすっきりした。
おしまい