内向的な自分を抱えて生きること

仲間の披露宴が終わって、がっくり疲れている。1日人と過ごすとどれだけ心を許した仲間でも、がっくり疲れる。人と口を聞きたくなくなるし、1人で部屋にこもりたくなる。現に、昨日は一日休みを取って家でじっとしていた。ずいぶん気持ちが戻った。

周りの人は1日楽しそうにしているのに、私だけ疲れているということがとてもコンプレックスだった。でも同時に私は甘かったので、その疲れを周りの人に気遣ってもらえるものだと期待していた。気遣ってもらえなければ、不機嫌になる。だから私はいつも不機嫌だった。

 
私はハードコアな内向的な人間のようであるということに、2年前くらいに気づいた。このTEDトークを見て、これって私のこと?と思ったからだ。
当時はまだスピーカーのスーザン・ケインさんの著書Quietが和訳されていなかったので、原書を買ってみたが、案の定冒頭3ページで挫折した。今年の春頃、翻訳版を入手して読んだ。

 

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

内向型人間の時代 社会を変える静かな人の力

 

 

いろんな発見があり、読んでとても勇気が出た。何よりも、外向的な人が多いと思われるアメリカで、この本が大ヒットしたのは本当に意味のあることだと思った。

スーザン・ケインさん本人がとても内向的な人間で、それを隠して周りに順応して生きていたというところにとてもリアルを感じたし、共感した。同調圧力の激しい日本でも、明るく外向的なことが重要視されるアメリカでも、内向的な人というのはどこかその雰囲気になじめず、コンプレックスを持ちつつ頑張っているのじゃないかと思う。この本を読んで、私は、ああ、私は変わらなくていいんだ、と思った。こういう人間もいるんだ、いていいんだ、とほっとした。

本の中で、ケインさんはこう述べている。

人間の可能性は輪ゴムのようなもの。持って生まれた気質は変えられないけれど、その伸びる範囲の中で成長できる。

 自分の気質を知ったからと言って、それだけに支配されてしまうものでもない、でも気質を変えることはできない。全く別の人間になることはできないのだ。私はその文章をそう解釈した。

自分がより気持ちよくて、よりほっとする、でも、自分のなりたい方向に向かって自分で選んで努力する。知って、試して、悩んで、チャレンジして、前に進む。その過程を楽しめる、そんな生き方がいいなと思っている。

おしまい。