読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちゃんとできない自分に凹む

身体が疲れているからか、「ちゃんとできない」自分になんだかうんざり凹んでいる。凹みつつ、ほんとにちゃんとできていないのか、客観的に考えてみた。

・毎日朝起きてSkype英会話を30分

・化粧して会社に行く

・最低限の仕事をする

・2駅歩いて帰る(雨の日以外)

・気が向いたら料理する

・化粧落とす、お風呂に入る、髪の毛乾かす

というのは少なくとも毎日やっているのだが、これは人間として生きていくうえで、最低限のレベルだと思うので、それをこなすだけでぐったり疲れてしまうへたれの自分に凹むのである。精神的にも肉体的にも体力がなくて、疲れると、人と話すのが億劫になるから、家族がほしいと言いながら、家族をもって本当にやっていけるのか、不安だ。

毎日旦那さんにニコニコして、こどもの底なしのエネルギーを受け止める、そんなハードなこと、私にちゃんと勤まるのだろうか。この疑問はわりと頻繁に私の頭に浮かぶフレーズだ。

 

と、まあ、べっこり凹んでばかりもいられないし、その状態も嫌なので、前向きなことも書いておこう。今日、朝電車の中でこのブログを読みながら涙目になった。


親が弱音を吐けるから子供も弱音が吐けるんだよという話 - いつか朝日が昇るまで

 

完ぺきな人間なんていない。自分がちゃんとできていないときに、一番私の背中を押す言葉だ。

私はすぐ疲れる。すぐ卑屈になって、落ち込みそうになる。最近、もう、それも仕方ないなーと思うところもある。もちろん、そういう自分そのものを改善していこうという気持ちもなくはないが、外からの刺激に対して疲れてしまうのは私の体質的なものもあるし、卑屈な考えは疲れると自動で出てきてしまうから、仕方ない。そういう自分を、この社会生活にいかに適応させるか。うまくやっていくか。そこを考えたほうが効率いいんじゃないかと思う。

 

前に、大学時代の仲間に、「人と話をすると、すごく疲れるし、人がたくさん集まるようなところに行くと、その日は一日疲れて使い物にならないし、次の日も半日寝ていないと回復しないよ」という話をしたら、その仲間は信じられない!という反応をしていた。「君と長く仲間でいたけれど、そうなってしまうなんて知らなかった。そういう人もいるんだね。」と言っていた。その時、私は、ああ、人間ってこんなにも違うんだ。そして、自分がこうだというのは、話をしないと理解されないんだと思った。

最近、「彼の前でこうありたい」という気持ちが「彼の前ではこうでなければならない」というような観念に変わりつつあるなあ、と思う。そう思ったとたん、できているか、できていないか、という判定を自分でし始める。それが、自分の首を絞めているように思う。自分がこう思う、こうしたい、こう感じる、という気持ちを素直に話すことって、私にとっては難しいこと。でも、そういう思いを伝えられないこと、それを覆い隠したまま、人とやっていくことは大きなストレスになる。うまく言語化できて外に出せたら、気持ちは楽になるかなあ。

取り留めなく書いてしまった。今週末は彼に合わずに過ごすのもありかもしれない。

 

おしまい