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服と恋人と仕事を選ぶのは同じこと

ここ何カ月か服を買ってないし、会社用の靴もぐだぐだになっているので、今日は買い物だ。いいのが見つかるといいなあ。

良いのが見つかるといいなあ、っていうのは結構曲者で、結局欲しいものの具体的なカタチが頭の中に描けていないと、探すことができない。私はわりとこのへんを決めてから買い物するので、ぴったりこない限りは衝動買いすることはほとんどないし、買い物に来たのに、手ぶらで帰ることもある。もちろん、いろんな服や靴を見ながら、そのイメージが変わって行くこともあるけど。少なくとも、さあ、今日は買い物するぞ、という日は、自分の欲しいアイテム位は決めている。ワンピースなのか、カットソーなのか。靴だったらパンプスなのか、パンプスでもどんな形でどんな色か、ヒールの高さやその太さも大体決めている。出せる価格帯も大体決まっていて、それよりも高いものででもすごくよかったもの、ほしいと思ったものについてはその場では買わない。

この話を一度仲間にしたら、えらく驚かれた。そんなにちゃんと考えるんだね!と。私からしてみれば、欲しいものがわからなければ、どこに行っていいかも分かんないし、いいものがあった、これにしよう、と決めることもできない。逆に何も決めないで買い物するなんて、そっちの方がすごいよ!と思った。私にはそんな決断力ない。

きっと、皆自分の欲しいものは知っているのだと思う。だって買うか買わないか、決められるのだから。良いと思うもの、どうでもいいものの判断がつくのだから。でもなんで私のやり方がその時その仲間に驚かれたのか考えると、言語化していたかしないかの差ではないかと思う。ぼんやりしたイメージのままなのか、それとも言語化して人に説明できるか、それだけの差なのだろう。私には言語化というのが合っているし、好きなのでそうなるが、イメージのまま買い物する人にしてみれば味気ない買い物というのになるのかもしれない。突然の出会いがない、と。まあ、それもあるかもしれない。ただ、その楽しみ方はとっても体力を使うので、さすがに今は楽しめない。それを一番楽しんでいたのは、大学生のころだったな…。

いろんな服を選んで、着てきて、どんな色どんな形、どんな素材が自分にとって一番気持ちいいのか、私はそれを知っている。そして、次はどんなものを着たいのか、どんな私になりたいのか、それも知ってる。だから、具体的なものを欲しいと思える。

 

最近、これは何に関しても言えることだな、と思う。仕事にしても、恋愛にしても、自分の欲しいものをはっきり言語化することって大事だと思う。もちろんすべてに関してすべて言語化できるとは思ってないけど。

私の恋人選びの基準は、定職があって、私と同じくらいか私より上のレベルの大学を出ていて、自己肯定感があり、穏やかであまり細かなことを気にしない人だ。後は、できるだけ家族関係が安定していて、安定した友人関係がある。一番重要な条件は私のことを好きで、一番に大切にしてくれる人。

私が大学生くらいの時は、そもそも、恋人を「選ぶ」という視点がなかった。だから、そのころの私にこの基準を聞かせたら、何それ、高望みすぎでしょ、と思うと思う。絶対手に入らない、無理だ、と。今より自分に自信がなくて、望んだものが手に入るなんて少しも信じてなかったから。でも、きっとそのころも、そういう恋人がほしかったんだと思う。(恋人っていう表現は若干気持ち悪いな)

欲しいものを欲しいというには、自分をまずは知ることが重要だ。私が恋人に求めるものは私自身がクリアしてなきゃいけないことだから。そういう人を得るために、自分にはどんなソースがあって、いま何が足りなくて、どうすればいいのか。それをクリアしていくことで、ずいぶん自分に自信がついていくし、自分の売りが何なのかがわかる。私の場合、それを自然にはできなかったから、意識的に言語化してやるしかなかった。

 

自分に似合うもの、自分がほしいもの、自分に必要なもの、それをすり合わせていくという点で、服を買うことと恋人(仕事)を選ぶことと同じだ。こういうことを書くと、「おれなんて」みたいにちょっと卑屈になっちゃう人とか「失礼だ」とか言って怒り出す人がいるのかもしれないけど、そういう人は「自分も選べる」ということを忘れちゃってるんだと思う。そして、それを選ぶには自分がどうならなければならないのか、もしくは自分のウリがどこなのかがわかってないんだと思う。非リアを自慢したり、リア充を攻撃したりするのそのものが楽しいなら話は別だし、勝手にやってれば、と思うけど。自虐って楽しいもんね。

珍しく攻撃的な文章になっちゃったなー。まあいいや。今日はこんな気分。

 

おしまい。