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やまだのばあちゃん

小さい頃私を可愛がってくれた、やまだのばあちゃんという人がいる。人というか、母の父の妹、つまり叔母なので、私にとっては大叔母に当たる人なのだが、実際のところは祖母よりもお世話になった。近くに住んでいたから。

なぜ、「やまだのばあちゃん」はやまだだったのかというと、ばあちゃん家の大字の名前が山田だったからだ。私たち家族はばあちゃん家から徒歩で15分くらいのところに住んでいた。近くに住んでいた頃、よく私たち家族はばあちゃんちに行ってお風呂に入りご飯を食べた。
私と兄はよくその家に泊まった。たまにはおばあちゃんの本当の孫であるところの又従兄弟が来たので、一緒に遊んだ。とにかくみんなでお泊りすると、楽しくて楽しくてたまらなかった。

ばあちゃんの得意料理はクリームシチューだった。いつもグリーンピースが入っていた。私はグリーンピースが好きじゃなかったから、あー、またか、と思ったけど、ばあちゃんがちょっと悲しむので、がんばって食べた。ばあちゃんは熊本出身だったけれど、私の出身県に長く住んで、お嫁さんをやっていたから、私の出身県の郷土料理が得意だった。私の母方の本当の祖母は、その地方の郷土料理のバリエーションの「豆腐汁」と「煮しめ」、「酒饅頭」だけだった。それはとても手がかかっていて、今思い出すとしみじみ美味しいものだったけど、小さい頃の私にはその美味しさがわからなかった。やまだのばあちゃんの方はといえば、いろんなハイカラな料理も作ってくれた。唐揚げとか、ポテトサラダとか。故郷から出てきた母はやまだのばあちゃん家に下宿していたそうだ。だから、母の作る私の出身県のご馳走料理は、やまだのばあちゃん仕込みだった。アゴだしのお雑煮とか。お正月にやまだのばあちゃんちに行くと、ばあちゃん手作りのおせちがいっぱい並んだ。

私が小学校に上がる頃、私たち家族は引越しをした。ばあちゃん家から車で30分くらいかかるところだったので、前ほどよく行くことはなくなったけど、それでも月に2回は行った。母とばあちゃんは本当によく喋った。母もばあちゃんもほとんど愚痴だったけど、二人ともよくそんなに喋ることがあるなというくらいとにかくいっぱい喋った。話に登場するのは親戚の話ばかり、ばあちゃんはよくお嫁さんの愚痴を行った。お母さんは男親の愚痴を言った。いろんな登場人物が出て来るのだが、ほとんどわからない人たちだったので聞いている私はいつも疲れた。
ばあちゃんの旦那さん、つまりやまだのじいちゃんは大工さんだった。仕事に使ういろんな道具を見せてくれて、一緒にお絵かきをして遊んだ。とっても明るい、ほのぼのしたいい人だった。ばあちゃんとじいちゃんはいつも晩酌をした。もっぱら焼酎のお湯割で、コップに溢れそうなくらい作っては美味しそうにすすっていた。お酒に強い人たちだった。

私はある日家に帰った。すると、酔っぱらった父親が居間に居て、なんだか経緯は知らないけれど、お前さえいなければ的なことを言われて、包丁を持って追いかけて来たのでとにかく家を出た。お財布の中にはバスカードが入っていた。私は死のうと思って、線路まで行こうとバスに乗った。悔しくて泣いていた。わたしがいなくなれば、これがどんなにかなしいことだったかわかるだろう。ふくしゅうだ。と思った。バスに乗ってバスカードを見たら、あまり残金がなかった。当時のバスカードはテレホンカードみたいな感じで、穴があくタイプだったから、本当の残金はわからなかった。なので、私は線路に着く前に急いでバスを降りた。
バスを降りて、線路まで歩こうと思ったのだが、考えてみれば、私が死んだところで、1ヶ月もすれば周りの人は私のことを忘れるだろう、親もそうだろうと思った。そしたら私が死ぬ意味はあんまりない。と思った。悔しかったけど、死ぬことによってダメージを与えるのは諦めた。本当に無力だった。親に抗うには死ぬこと以外にになかった。今考えても悔しい。
私は、お金を持っていなかった。けど、家にも帰りたくなかった。だから、そのバス停からばあちゃん家まで歩くことにした。1時間半くらいかかっただろうか。私はばあちゃんの家にたどり着いた。ばあちゃんは幸い家にいてくれて、びっくりしながら迎え入れてくれた。私が泣いた後だったのはばあちゃんもわかっただろう。私はばあちゃんになんと言ったのか、家に来た理由を言ったのか覚えていない。泣いたのかもしれない。ばあちゃんがお母さんに電話をしてくれて、夜遅くに職員会議の終わった母が迎えに来てくれた。
そう、その日は母が職員会議で遅くなるから、男親は酒を飲んで暴れていたのだ。母がいない時を狙って飲んでは、私たち兄妹に暴言暴力を振るった。母が怪我をしたら、収入がなくなるから、母にはだいたい静かにしていた。当時の私たち兄妹には母の帰りが遅くなる飲み会と職員会議が恐怖ワードだった。

ばあちゃんは私ら兄妹のことをとても可愛がってくれた。母はばあちゃんには父の醜態を話していた。私たちが辛い気持ちでいたことを、察してくれていたのではないかと思う。本当にありがたかった。あの頃の私たちの逃げ場だった。ちゃきちゃきしてでも優しいばあちゃんがとっても好きだった。おっとりしたじいちゃんのことがとっても好きだった。

じいちゃんはずいぶん前に亡くなった。ばあちゃんはすっかり痴呆の症状が進んで、私のことが誰だかわからなくなっている。母のことすら覚えていない。

ばあちゃんは全部忘れても、私はばあちゃん夫婦が私のことを愛してくれていたのを覚えている。着道楽だったばあちゃんにもらった大島紬の訪問着を仲間の結婚式の時に着るたび、あの日のことを思い出すだろう。泣きながら歩いて行ったばあちゃんの家。クリームシチュー。干し柿の入ったなます。アゴだしの雑煮。便秘でお腹が痛い時に食べた揚げ物。便秘解消のおまじない。愛された記憶が何度も私を慰めるだろう。

おしまい