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上手な甘え方を考える

 

男だけど甘えたい

女だって男性が甘えてきて、自分のおかげで回復したらうれしいさ。でも、男でも女でもそのまま依存されて回復しないのは手に負えない。で、この人は自分が回復しなくて手に負えなくなりそうで怖いのかなあ。

2015/02/18 12:30

 今日の増田。甘えることって、私にとってはとても怖いことで、なんでかなあ、と思ったら、自分にとって甘えることは依存することと同義だったからだ。で、このブコメを書いて、ああ、そうかと腑に落ちた。

前に、甘えることについて記事を書いたことがあって、正確には弱さを見せることについてなんだけど、ここでも私はまだよくわかってなかったなあと今になって思う。わかってなかったというか、うまいこと納得できてなかった。

 

弱さを見せる強さとは - いんとろばーとの頭の中

自分の弱さを全部人に見せるな、相手が受け止められる大きさを吟味して、ギフトとして渡すのがいいよ。っていうエントリ。ちなみに今でもそう思ってる。

 

自分自身、人に甘えることができないなあと感じていた。誰かにしがみついて泣きたいこととかしょっちゅうだけど、それをないことにして、なんでもない顔をして生活していた。でも、そういう風に感じちゃう自分がいるってことを無視し続けると、やっぱり意味不明に不機嫌になったりして周りに迷惑をかけたり、体がうまく動かなくなったり、何かしら問題が起きてた。それで、思い切って人に頼ったら、物事がとても楽に進み始めた。ぼろぼろの状態にまで自分が追い込まれる頻度が減りとその期間が短くなった。

私の周りは、自己肯定感が高くて、自立している人ばかりだから、なかなか私に甘えたり頼ったりしてくれない。いや、たぶん、私自身が依存が嫌いだったから、依存的な人を排除してきた結果なのだろうね。それってさみしいことでもあるよねえ、とも思うわけだ。私は誰かの力になりたいし、自分が人に役立つ人間だって思いたい。

頼る、甘えるっていう行為は誰かの「誰かの力になりたいし、自分が人に役立つ人間だって思いたい」っていう欲求に大いに応えることができる。でも、自分も甘えたいし、ずっと頼られ続けるのも嫌だ。その基本的な欲求にこたえるのに大切なことは、私が役に立っている、という実感だ。だから、現状の回復もしくは相手の成長を見ることで、ああ、私は役に立ったなあ、力になれたなあ、と思える。そのまま甘えられ続け、その人がどんどんダメになる、または、相手が自分に危害を与えるとなると、途端にその人のことが重くなり、邪魔になる。(共依存とかはこの辺の回路の勘違いパターンなんだと思う)そうすると、頼られた人はその人から離れるという決断をする。

 うまく甘えるというのは、ある程度技術がいることだと思う。人を選ぶ必要があるし、タイミングもある。でも、どちらにせよ必要なのは、自分で回復する、自分は回復できるという前提なんだよね。それが自分の中に構築されていれば、甘えることへの怖さはなくなるのではないかな。まあ、甘えたいときにはそれが欠けるから、不安になるんだけどねー。

おしまい