「無理しなくていいよ」は私の禁句

 昨日の甘え方の話から派生して考えたこと。

 

上手な甘え方を考える - いんとろばーとの頭の中

 

無理しなくていいよは私のNGワード

私は彼に「無理しなくていいよ」というのを禁じていて、今のところ言ったことはない。まあ、彼の様子や状況を見てこれから絶対言わないと決めているわけではないのだけれども。私は少しくらい無理して、私のために頑張ってくれるのが好き。あと、男性的な考えとして「彼女のために無理して頑張ってる自分ってかっこいい」というヒーロー願望があるみたいで、少なくとも彼はとてもあてはまっているみたいだから、その願望を埋めてあげてるんだ、と思って頑張って言わないようにしている。

これ、偉そうに聞こえたかもしれないけど、なんで禁じているかというと、私自身に自信がなくて、誰かが自分のために無理してくれているのを見ると、ものすごく申し訳なくなり、前は「そんなに無理しなくていいよ」を連発していたからだ。そしたら相手(今の彼氏ではない)が全然頑張らなくなって、挙句の果てに私が頑張らないことを非難するようになったということがあった。な、なにそれ、と思った。がんばらなくていいよって、私は言ってあげたのに!

「遠いからそんなに来なくていいよ」

自分でもなんでその相手が頑張らなくなったのか、その時は全然わかってなかった。でも今なんでかなあと考えたとき、一つエピソードを思い出したので、書いてみる。

遠いところに住んでいる仲間を訪ねて、別れ際「また来るね~」と言ったら、その相手は「遠いからそんなに来なくていいよ」と返事したことがあった。その仲間が謙遜の意味でそれを言ってくれてるのはわかったが、私はその時、若干しょげた。私って、別に来なくてもいい存在なんだ…と。誰かに何かを「しなくていいよ」というとき、もし、その人に自発的に何かを誰かにしてあげたいという気持ちがあった場合、それを拒否するように受け取られたりもするのだな、と思った。

だから、私は誰かが会いに来てくれて、またね、と言われたら、「来てくれてありがとう!本当にうれしかった!また来てね、私も行くね!」と答えることにしている。まあ、もっぱら誘う人である私にはなかなか頻繁に言える言葉ではないのだけど。

無理しなくていいよ、のかわりに

無理しなくていいよ、の代わりに、私は、彼が私のために頑張ってくれたことに対して、精一杯のありがとうを伝えることにしている。がんばらなくていいといわれるより、あなたの頑張りわかってるからね、と言われるほうが、私はうれしいから。もっと頑張っちゃおうかな、って思うもんです。相手がちょっとしょげたり、甘えたいときは、そばにいて話を聞いて、”私はここにいるから、なんでも話してね”っていうだけで、大体相手の力になれていると思う。ここで、”無理しなくていいよ”とかいうのは、甘やかしだなあと思う。

相手が自分の足で立つために、たまに肩を貸すことはやぶさかではないけれど、その人を乳母車に乗せて引いたりはしない。だって、相手はなんだって自分でできるから。できることを奪うのは、尊敬していないってことだと思う。相手が大人らしく自分の足で立つ、それがその人にとって一番自分を誇れることだと思うし、私は自分のことを誇れる人と一緒にいたい。別にその人に無理を強いているわけではなくて、もし無理だったら、彼が無理だって私に言えると信じているのだ。彼の体や心のことは、彼自身でどうにかできる。私の関わることではない。もちろん、私も自分の体と心のことは自分で何とかする。彼の手が必要なら、きちんと話して頼ることもできる。それがいつなのかは、私が決める。それが私の幸せにつながることだから。そういうわけで、彼への「無理しないで」を禁句にしている。

ちなみに、彼は私に「無理しなくていいよ」と言ってくれるけど、私は半分くらい受け取って、甘やかされすぎないように気を付けてもいる。

 

おしまい