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他人の問題が自分の問題にすり替わる

彼と、彼が作った晩御飯を食べながら、いつものように今日の出来事について話をしていた。彼は自分の提出した書類にミスがあって、そのことでメンターに怒られたけれど、僕のせいじゃなかった。という話をしていて、私は何とも言えない気持ちになった。僕のせいじゃないというのに、反応してしまったのだった。

よくよく話を聞くと、確かに行き違いがあって、そのメンターも成熟しておらず怒りっぽいところがあって、起こったことのようだったけれど、私は彼の話を聞きながら、黙り込んでしまった。何度も何度も彼が僕のせいじゃないというのを聞きながら、会社のできない子たちの言う言葉とあまりにもリンクするし、自分も行き違いで後輩を叱ったりしたこともあったりして、ぐるぐるしてしまった。ちょっと声を荒げたりもしてしまった。とてももやもやして、なんだろうと思ったけれど、うまく説明できずに、食事を終えてからもよくわからないなあ、と思っていた。

 

今日の朝もそのことについて考えていた。私は彼の話を聞きながら、私は彼の境遇というよりも、彼の先輩のほうに感情移入していた。彼が僕は悪くない、僕のせいじゃない、というたびに、私のほうが悪い、私のせいだ、と言われているような気持になっていたのだと思う。

その仕事に対して真剣に責任を持って取り組んでいるからこそ、その書類のミスを見つけ、2度とこのことが起こらないようにという気持ちになっている。なのに、ミスをした新入社員は自分が悪くないことを必死で証明しようと奔走している…。叱る自分だけがどんどん悪者になって、周りの人は遠巻きに見るだけで助けてはくれない。人に仕事を教える、そんな手間を引き受けているのにそれに対するインセンティブはなく、自分の仕事をする時間ばかりがどんどん奪われていく…。しかも新入社員は残業しないと言い張る…(彼は残業しないと会社で公言している)。ため息が出そうなシチュエーションだ。まあ、その人がそういう風に思っているかなんか知る由はないけれど、私は彼の愚痴よりも、その先輩の愚痴を聞いてやりたかった。

いつの間にか問題は自分のことにすり替わり、私は彼から責められている気持になり、自分がそういうだめな先輩であることを恥じて、それを責めた。なんという共感力!その感受性の高さ!自分という自己の膜の薄さ!それに気づいたら、ちょっと自分が可笑しく思えた。

 

彼にしてみれば、僕が悪くないということを肯定して共感して励ましてほしかった、もしくは、淡々と話を聞いてもらうだけでも十分だったのだろう。なにせ、ただの愚痴だったのだから。ただの愚痴なのに、彼女のご機嫌が目に見えて悪くなったら、意味わかんないだろうなあ…。すまん、彼よ。努力はするけれど、私は不完全だし、まあ、おんなじように彼も不完全だ。まあ、そこは許しあいながら、お互い様で頼むよ。

今度こんな愚痴があったら、大変だったねえ、でも失敗はチャレンジの証拠、次は大丈夫だよ!と言ってあげることにしよう。

 

おしまい