母の信じているものと私の信じているもの

■がんばる教(ちゃんと教)信者の布教活動。|心屋仁之助オフィシャルブログ「心が風に、なる」Powered by Ameba

母は仏教系の新興宗教の信者だ。高校時代まで私の中ではその宗教を母が、もちろん私も信仰しているのは普通のことだった。その宗教で行われていることは、別に破壊行為などなくいたって平和で、ちょっとした占いのようなことや、ちょっとしたカウンセリングや自助会のようなものだった。全然疑問も持っていなかったし、嫌な思いをすることもなかった。まあ、強いて言えば、土曜日の朝早くから起きて宗教施設に行くのは嫌だったし、めちゃくちゃ早朝に近くの駅まで自転車を20分漕いで出かけて、掃除とかするのはホントに面倒だった。早朝の掃除や毎週施設に行って読経することや、その宗教の話を他の人にして施設に連れてくることは、徳を積むこととされて、それをいっぱいすればするほど、スゴイ人になれるらしかった。


私は家を出てから、その宗教にほとんど関わらなくなった。たまに実家に帰った時に、母親が是非にといえば一緒に施設に行ったりもするし、母が上京してきた時には総本山とか新しい施設とか国立博物館に関連の仏像を見に行ったりする。最初は、何もしなくなった自分はバチが当たったり、誰かを不幸にするのではないか、とか、苦しんで苦しんで死んだという先祖に取り憑かれて体を壊したりするのではないかと思った。その宗教から自分が離れている、という罪悪感はすごくあったけれど、それ以上に土曜日を私の1日として自由に使っていいこと、母親にいろいろ宗教の事を聞かされる時間がなくなったことにホッとしていた。私にとってはその宗教は普通のことだったけど、流石にそれが人とは違うことで、あまり大っぴらに人に話してはいけないことだというのはわかった。そういう人に言えないことがあるというのは結構しんどかった。

多分母親は私が4歳くらいの時にその宗教に入ったのだと思う。父が脳梗塞で倒れ、母が病院通いを始めた頃でないかと推測する。40手前の母が手のかかる子供と重病人の父を抱えて、非常に不安だった頃だ。その後も、父は病気で働けなくなって自暴自棄になり、アルコールに走って、更に家の中はめちゃくちゃになっていった。そんな母をずっと支えてきたのはその宗教だった。その宗教を信じて徳を積めば、きっと良くなる、その一心で母はその宗教にのめり込み、毎日祈った。そのおかげで母は私たちを放り出して逃げたりもせず、しかしながら、私たちからその父親を引き離すこともせず、なんとか今日まで母の夫と子供を支え続けた。前に、母に聞いたことがある。男親が一番酷かったころ、どう思ってたの?と。そしたら母は、とにかく1日を無事に生き抜くことだけを考えてたよ。とにかくお父さんの事が怖くて仕方なかった。と話してくれた。そんな怖くて不安で、1日1日を生き延びることが大切だった当時の母には、その宗教だけが手を差し伸べて、支えになってくれていた。

私にはその宗教は今のところ必要ない。だから、母には少し申し訳ないけれど、今は私は施設にはいかないし、お祈りもしない。その宗教を否定もしない。少なくとも母にとっては、一番辛い時の一番大きな支えだったし、母がそれに支えられていたおかげで、私たち兄弟も男親もなんとか人の姿を保ってここまで来れた。感謝をしているし、これからも母を支えてほしい、それだけお祈りしている。

ある時期の人間にとって、もしくはその社会情勢や文化にとって、宗教というのはなくてはならないものになりうる。それはその人たちを救うこともあるだろうし、幸せを感じられることもあると思う。宗教は人を縛り、または解き放ち、支え、導く。いい方向かもしれないし、悪い方向かもしれない、祈るしかないときもいっぱいあるのだ。必要な時というのはあるんだ、母を見てそう思った。私に宗教が必要ないくらいに、私が自由に選べるようになるようにそんな母が育ててくれた。

自分が何を信じて生きていくか、誰もが自分で決める。私にも知らず知らずに入っている宗教があって、それに支えられるときもあれば、それで辛くなるときもあるし、他の人に押し付けそうになるときもある。誰にでもそういうものがあって、それがその人を支えて、導いていることを忘れちゃいけないなあ、と思う。それが幸せかどうかなんて、私にはわからない。私にはそれを変えることはできないし、できるだけ尊重して、そっちはそっちで楽しくやんなよーと言えるくらいにはなりたいとも思う。


おしまい