四年前の今日のこと

4年前の今日、1時ごろ電車に乗って都心に向かっていた。3時からの打ち合わせのためだ。資料を持って、工期でくたくたの体を抱えて、電車に乗った。

地下鉄で目的地のひと駅前に止まった。あまり聞いたことのないチャイムが鳴り、そのまま電車は出発しない。なんだろう、と思った。そして、そのすぐ後に、長い揺れが来た。電車の中はとてもとても静かで、電車がゆらゆらと揺れるので、私は座席を握った。強い地震です、電車の中が安全ですから、安全が確保されるまで電車の中にいてください。とアナウンスがあった。私はひとまず5分ほどじっと待ってみたが、何も起きなかったので、とりあえず駅から外に出た。外に出たら余震が何度も起きて、ビルや電灯が揺れていた。

私は何とか徒歩でお客さんのところにたどり着いた。エレベーターは止まっていたので、10階まで歩いて上った。そのプロジェクトのボスはなかかな来ず、私だけでは話ができないので、お客さんと待つことにした。普段なら絶対にないが、お客さんがお茶を出してくれた。みんなそわそわしていて、被害の様子をテレビで見ていた。なんだか大変なことになっていそうだったけど、テレビは遠すぎてわからなかった。1時間くらい待った後、私はお客さんに今日は帰りますね、と言ってそのビルを出た。

とにかく、静かだった。車どおりも少なかった。私はひとまず、最寄りの地下鉄に入った。電車に乗っていれば、あったかいし何とかなると思った。とりあえずこんな時は食糧だと思って、クリーム玄米ブランと野菜ジュースを買った。それから、私は止まっていた電車の中で、少し玄米ブランを食べて、携帯でツイッターを見た。ツイッターの中は混とんとしていた。ツイッター仲間から無事かあ?とメンションが飛んできていた。私はタイムラインに無事だと返した。そしたら、みんな安心してくれて、そこから動くなよ、そういう時は略奪とかいろいろ起こって大変だからねとか、情報をくれた。

私はぽっかり空いた時間を前に、ボーっとしていた。連日終電徹夜であまり寝ていなかった。電車の中は割とアットホームで、みんないろんなことをあきらめていて、隣の人と話したりしていた。不安だった。結局それから4時間か5時間たって、ようやく一部区間の地下鉄が動き始めた。

私は電池が残りわずかな携帯で、いろんな人のメールに返信していた。どういう経緯だかすっかり忘れてしまったけれど、もう随分会ってなかった都心に住む中学時代の仲間と連絡が取れて、その子の家に泊めてもらった。コンビニに行ったら何にもなくて、でも、とてもお腹が空いていたので、カップうどんを買った。テレビをつけたら、気仙沼が燃えていた。自分の使っている路線が復旧したのを見届けながら、仲間の部屋で眠りに落ちた。


さて、今日であるが、いろいろ考えていて、そうだ、今日言っておかないといけない言葉がある。そう思った。彼に、愛してる、と。私は普段なかなか言わないけど、とりあえず伝えておいた。彼は少し驚いていた。これで明日死んでも大丈夫だ、と言ったら、いや、死なないで。と言われた。いつもいつも、明日死ぬかも、と思いながら生きることはできないけど、今日くらいはそう思っておこう。


おしまい