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人間関係は限りなく広がるグレーだ

alfalfalfa.com

元ネタがわからなくて、まとめのほうを貼った。どうも作者さんがアカウントを消しちゃってるみたいで…。

これを見て、私は割と共感する部分もあった。今は完全に同意はしないけど、作者と同じ観点で人間を見ていたころがあったから、いやーなんか、つらそうだな、と思った。

周りの人間をつまらないと思う自分

高校や大学生のころ、自分のことを友達、と思ってくれる人たちのことを、見下してつまらない、と思うことはよくあった。私の周りにいたのは本当に善良で、いいやつばかりで、しかも、マンガに書いてあるような流行りに流されるタイプではなく一本筋の通ったわが道を行くような人たちばかりで、今は本当に素晴らしいなあ、と尊敬している。でも、当時は「何もわかっちゃいない、どいつもこいつも善良すぎる、つまらない」と思っていた。

作者はきちんとした話、つまりここでいうところの政治・経済・社会情勢の話、をすることにとても重きを置いていて、それ以外の会話をしても全く満足できないのだろう。私も当時はそう思っていて、私の場合はその人の価値観の話をするのが好きだった。まあでも、それは割と重くてプライベートな話なので、大人数の飲み会ではできるようなことではないから、大人数の飲み会は一生懸命笑ってその場のノリの会話に頑張ってついていき、その後激しく落ち込む、というのを延々繰り返していた。周りには社交的で面白い人として映っていたかもしれない。でも実際はかなりつらかったし、しかもその辛さの理由がさっぱりわからなかったので、自分の気持ちの落差にその都度うろたえた。

白黒思考はつらい

私は当時本当に自己肯定感が低かったので、周りにいい友達がいる、ということを何よりの支えにしていた。彼らに好かれている自分だからOKという風にしていた。でも、どこかで、彼らのことを見下して、私のことなんかわからない、どうせ理解なんかされないとも思っていた。毎日のように、私の決める仲間たちへの評価はジェットコースターのようにめまぐるしく変わり、そのたびに、自分が自分に下す評価も激しく動いた。みんながみんな深い話のできる人間でないといけないと思っていたし、そうでなければ付き合う価値はない、とまで思っていた。

自己肯定感が低いと、いろんな物事を白黒はっきりつけたくなる。たぶんそうしないと怖いから。決まっていないものが怖かった。いい、悪い、その基準がないと自分の立ち位置が決まらない。自分の存在がものすごく相対的だったからだろうと思う。自分と他者の関係に境界がないから、周りに振り回される。振り回されないために、白黒をつけていたのだと思う。

人間関係はほとんどがグレー

でも、人間関係というのはものすごくグラデーションでできていて、自分のものすごく好きな人もいれば、どうでもいい人もいる。顔見知りだけの人、職場の同僚、ご飯を食べに行く仲間、深い話のできる仲間、地元に帰ったら合う仲間。しかもその重要度の具合というのは自分の置かれた立場で日々変わるものだ。一緒にご飯食べに行って、あまり話が盛り上がらない日もある。でも、盛り上がる日もある。何かを発見する日もある。不意に深い話をしたり、悩みを聞いたり秘密を教えてもらったりする日もある。そういうものなのだなあ、と思えるようになったのは本当に最近のことだ。そういう日もある、それだけの話なのだ。そう思えるようになったらとても楽になる。

おしまい

 

(単純に突っ込みなんだけど。政治経済の話をしたい、日本をDisりたいなら、外国の人と交流したらいい。外国の人は政治経済の話大好き・日本嫌いもいっぱいいるし。日本人だからって一番自分に合う国家が日本だということはない。それにつまらないと思う友達とは会わなければいい。本当に合う人とだけ、会えばいい、いないなら探せばいい。でも、自分は鬱で体力がないから、普通の人と同じことができない?いや?そうかな?周りがごくごく普通の人たちでないと、その作者の大事に抱えている「特別さ」が損なわれてしまうからじゃないのかな?と思ってしまった。作者をDisるつもりは全然なくて、その状態にはまっちゃうと、なかなか身動き取れなくてつらいだろうなあ、しかも自分ではその理由がわかんないだろうしなあ。と思った。体からも心からもSOS出てるのになあ。なんておせっかいを思ったりした。)