"そのままの私"は本当にダメか?

ここ最近、自分の気持ちに正直に生きることを一番に考えて生きていた。最初の頃はいろんなことがよくなっていったのだが、最近、正直になりすぎて、どうも上手くいかないことがではじめた。

私は正直、異動前の上司のことがあまり好きではなかったが、仕事をしていく上で上司と上手くいかないのは致命的であるため、上司に好かれるように仲良くして、評価されるようにいろいろと頑張っていた。上司の先回りをして、無理に笑い、自分の気持ちは決して口にせず、悩みも何もないかのように、優等生をやっていたら、上司は私を一端の技術者扱いしはじめた。そうやって4年間なんとかやってきたのだった。ある意味簡単だった。そして、私はそれをすべて止めて、最後の2ヶ月、自分の好き放題やった。いつもにこにこ笑わない、愛想良くしない、指示に必要以上に迅速には従わない、必要以上のことは話さない。結果はまあ、当然、最後の最後というのに、私と上司の関係は非常に悪くなった。
そこで、復讐終了、ほほほ、とほくそ笑むことができれば大したものだが、小者の私は罪悪感でいっぱいになった。自分の好きなように気持ちのままにやったら、人と仲違いした。これはなかなか気持ちが沈むものであった。まあ、冷静に考えれば、当然のことだけど、やっている最中は結構勇気を出してやってたこともあったから、あれ?と思った。自分が自分のままでいればいるほど、人に嫌われる。やっぱり私は”そのまま”じゃ駄目なんだなあ、化けの皮被ってないと、社会でやっていけないんだ。と。
 
それ、違う!違うんだよね。
 
”私は悪い人間、化けの皮がはがれると皆に嫌われる”っていう、その元の考え方があって、それで自分で証明しちゃってるんだよな、これって。
今朝、起きたときに、今感じてること、自分の気持ちを大切にして生きよう、ってまた思った。でも、そのまっさらな気持ちを良く探ってみると、私は別に誰かに意地悪したいわけでも、何が何でも勝ちたいわけでも、にこにこしたくないわけでもなかった。ただこの一日を穏やかに、自由な気持ちで、できればにこにこと、昨日と同じくらい、できれば昨日よりも、気持ちよく楽に生きたい。シンプルに、それだけだった。それが、たぶん”そのままの私”なんだと思う。
もし、それが”そのままの私”なんだとしたら、それを邪魔しないように一日過ごせばいいだけだった。”そのままの私”をアシストすればいいだけだった。でも、私はこのままじゃ駄目だって思ってるから、「何が何でも勝ちたい」とか、「絶対一番にならなきゃだめだ」とか、「私しかできないことがないと生きてる意味ない」とか、「ほらみろやっぱりできない、人間やめちまえ」とか、そういうことを小さいおっさんみたいな人が私の頭でいつもやんややんやとうるさい。すごくイライラしてくるし、朝起きたときのあのシンプルな気持ちはどこかに行ってしまう。私はいつも、その小さなおっさんに負けて「やっぱり」中途半端、なんとなく不安で不幸な私に舞い戻る。
いつのまにか、頭の中のちっさなおっさんの方が、"そのままの私"にすり替わってしまうのだ。じゃあ、ちっさなおっさんは私じゃないのか?いや、おっさんも私なのだ。おっさんではなくて、本当はガキの私なのだ。ガキの部分なのだ。自分はこのままじゃダメだ、って怖がって、足りないからできないってできないことを足りないせいにして、傷つきたくない。少しやさしい見方をしてやると、ある意味ヤツは私のことを守ろうとしているのだ。できるだけ傷つかないように、中途半端のままのこのままの私で居続けられるように。私が変わろうとすると、ヤツは私を恨めしそうに見る。もう守ってやれねえんだぞ、傷ついちゃうんだぞ、いいのか?涙目のヤツはカワイイ。
私はその涙目のヤツをむんずと小脇に抱え、頭をなでてやると、ヤツはちょっと静かになる。そして、シンプルな方の"そのままの私"の背中を押す。"そのままの私"のやりたいことを邪魔しないようにそっと見ている。ただ、邪魔をしないだけ。何かこうあるべきとか、そういうのを新たに作るのではなくて、ただ今まで怖がって出せなかった素直な気持ちをひとつずつ叶えていく。いつもながらうまく書けないけれど、私の気持ちを大切に、自分を大切にして生きていくってそういうことなんだと、今日は思った。
 
おしまい