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同窓会行かなくても良いでしょうか?(小町風)

来月ある同窓会の出席を断った。ここ2ヶ月ほど、頭の片隅に薄ぼんやりとあって、出欠を決められなかった同窓会。大学時代の寮のメンバーたちで、一年間同じ釜の飯を食い、濃い時間を過ごした仲間たちだ。メンバーは20人ほど、15人ほどが出席するらしい。メンバーたちは日本全国に飛び散っているから、驚異的な参加率だ。

面々を思い浮かべるだけで、懐かしい、単純に馬鹿騒ぎして、それはそれは楽しいだろうと思う。でも、私の頭の中にあったのは、「子供が来る」というのと「ひとり苦手なやつが来る」というのである。多分この2点において、私の気持ちは乱され、その会が終わった後、凹むに違いなかった。必ずしょげるであろう自分を思うと、懐かしい仲間たちに会って騒げる嬉しさが瞬時に吹き飛ぶのだ。

ひとり苦手なやつが来る。どれだけ楽しい面々でも、会いたくない人はいる。このくらいは普通だろう。卒業直後なら、このくらいのハードルは高いものでもなかった。懐かしい仲間たちに会う方がずっと嬉しく楽しくワクワクするイベントだった。刺激や情報量の多いところが苦手で、大人数の飲み会が嫌いな私でも、彼らと会うことは喜びだった。

そこに仲間の子どもたちが来るというのが、乗っかると、とたんに天秤は「気乗りしない」に傾く。子どもが来ると、情報量や刺激はマシマシ、トッピング全部乗せ状態で、私は一気に消化不良に落ち入るだろう。子連れをみると、寂しい気持ちになる。置いて行かれたような。私は彼らより大切には思われることはないんだな、と思う。ああ、私は彼らに依存すらしていたのだなあ。
その場はなんとか楽しく取り繕えたとしても、その後、自分を責めて落ち込むのが関の山だ。「子どもがいる人を嫌だと思う自分は最悪だ」「きっとこんなことだから結婚もできないし、子どももいないんだ」「みんな私を出来損ないと思っている」「どうせ私には仕事しかできないし、いや、仕事すら全然できてないし」…素晴らしい。自分の思考が手に取るようにわかる、わかるぞ…。

仲間は好きだ、彼らは悪くない。その彼らの生んだ、彼らが自分よりも大切に思う命たちが悪いはずない。勝手に連れてこられただけだし、罪ない。だから、悪いのは私だ…と言いたいところだけど、そうやってかっこつけて自分を責めたって仕方ない。だって辛いんだもん。私も悪くない(開き直り)。そもそも同窓会出るか出ないかとか、どーでもいい事にに罪とかあるかバーカ。好きにしろよ。

いろんなこと気にせず、ただ楽しいとこだけ見て、ギャハハと笑う。終わったら楽しかったー!とスカッと忘れる。そういう人になれたら良い。なりたい、努力すれば…!とずっと頑張ってきたけど、残念ながら今のところなれそうにない。そういうのは努力でなんとかなるもんでもないらしい。

おしまい