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社会ってそんなに厳しいか?

どうでもいい話 仕事 日常

甘い、という言葉が引っかかる。自分も前はよく使っていて、今でもたまに喉から出そうになる。甘いと言いたいとき、社会は厳しいといいたいのだ。いや?社会ってそんなに厳しいか?

私の隣の席は東南アジアの某国から来た新入社員だ。彼は常に「どうして?どうして?」と何かを聞いている。隣の席なので、私が最もそう聞かれることが多く、いちいち答えているのだが、めんどくさい。「それ、なんか意味あるんですか?」とか「それだけですか?」とか、生意気ばっかり言うのだ。たまに私も感情的になり、「おめーのその言いぐさ、むかつくんだよ!」などと汚い言葉を吐いたりしている。にもかかわらず、彼は毎日毎日、なんでですか?これ見てください、どうしてですか?と聞いてくる。根性があるのかなんなのか、周りの社員は彼への説明をあきらめている。

今までだったら、私も、「彼のためにならない」とかなんとか理由をつけて、懇切丁寧な説明をしなかったかもしれない。だが、今はできる限りの知識を彼に教えている。仕事のこと、社内のこと、誰に聞けばいいか、漢字の読み方、言葉の使い方。面倒だが、聞かれたことに対応しているだけなので、特に負担とも思わない。彼は明るく物怖じしないキャラなので、たまに雑談をして、彼のお国の話を聞いて楽しんでいる。

どこかで、私は「社会は厳しいものだ」と思い込んでいて、「本人のためにならないから」と後輩を突き放した。気負っていた。私は当時、後輩たちにに負けるのが怖かった。仕事をとられて、私が干されたらどうしようとずっとおびえていたのだ。それで、後輩たちの「なんで?」をできない自分を責められているかのように感じていたのだった。だから「なんで?」と聞かれると、つい、かーーーっとなって、「甘いんだよ、自分で考えろ」と思っていたのだった。私はそれで、一人後輩をつぶしかけた。同時に自分自身もつぶれかけた。

今思い返すと、社会は私にとって全然厳しいものではなかった。今までついた先輩たちはみな同様にやさしく、「甘いんだよ、自分で考えろ!」と突き放されたことはほとんどなく、聞けば教えてくれた。社会は厳しい、というのは私の頭のだけにしかなかった。たまに厳しい人はいるが、その人だってむやみやたらに厳しいだけではない。社会が厳しいのと、その人が厳しいのは違う話である。厳しい人は厳しい世界で生きている。

「本人のためにならないから」と他人が判断することではない。その人が育つか育たないかなんて、本人次第だ。本気でその人を育てる気があるなら「なんで?」の質問に「なんで?どう思う?」と答えて対話をしていく必要がある。ひとりひとり対応も変えねばならない。質問に単純に答えるよりも、忍耐が必要で手間のかかる作業だ。本当に成長させるつもりの「甘いんだよ、自分で考えろ」も時にはあるかもしれないが、それをいつも言っているのはただのめんどくさいことからの逃げ、価値観の押しつけである。最初から「めんどくさいからほかの人に聞いて」っていえばいいのに。

 

 

…まあでも、聞き方ってのもあるよね。それもわかる。

おしまい