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無駄に

両親が本を読む人で、物心つく前から毎日毎日読み聞かせをしてもらった。保育園の頃はもちろん、小学校に入っても毎日寝る前に読んでくれた。最初は絵本を、徐々に長い話になり、最後のほうはファーブル昆虫記やらシートン動物記やらの長い話になった。父も、母も、同じくらい読んでくれていたと思う。その影響で、私は本を読む子供に育った。図書館にこもって手当たり次第本を読んだ。中学校に入っても、高校に入っても、図書室は私の大切な居場所だった。

読むのと同じように小さいころから私は何か書いていた。最初は手書きで、パソコンが出てからはパソコンで。時にはポエムを書き、少女マンガのようなお話書き、mixiが出てからはネットに書き、とにかくずっと書いていた。

ほかには、料理を作ることは私の生活の一部で、小学校に入りたてのころから朝ごはんは子供の担当で、私も兄も、卵焼きは大の得意料理で、毎日みそ汁の具も考えて作った。両親は私たち子どもが何を作ってもべた褒めし、私は小学校高学年になるころには夜ご飯も作れるようになっていた。

手を動かすことも好きだった。母親はミシンで何か作っていて、私もミシンはすぐに覚えた。編み物も古い本を見ながら、何かよくわからないものを作ったり、マフラーを編んだりした。

 

社会人になって、私はそういう自分の続けてきたことを、すべて「意味のあること」に切り替えようとした。楽しみに読んでいた物語の本はすべてビジネス書や自己啓発本になった。料理は楽しみというよりも、節約のために必要に駆られて作り、編み物や縫い物は全くしなくなった。楽しみはすべて無駄なことになった。でも、無駄なことを削り取っていくと、人生は意味のあるものになるかというとそうでもないな、というのが今の感想である。無駄なものを削ると、それと同じくらい、自分の中の重要なものが削られるような感じがする。息苦しくなる。

今年は、小さいころ夢中になっていたこと、今やってみたいこと、どんどん無駄なことをやろうと思っている。無駄に読み、無駄に書き、無駄に料理し、無駄に編もう。

おしまい