過去の人間関係の断捨離の方法

私は仲間というのに固執する性質で、特にこれまで付き合ってきた仲間たちとの交流を絶やしたくない、というか絶やしてはいけない!という強迫観念があって、誘う誘わないだのいろいろと悩んできた。
最近、過去の人間関係の扱い方が少し変わってきたので、その辺のことを書いておこうと思う。

 

会いたいか会いたくないか

 

今、人に会う基準は、その人に会いたいか会いたくないかを基準に決めている。基本的に1対1で物事を考えている。たとえば、グループで会うにしても、その中にすごく会いたい人がいて、そこそこの人数なら行くことにもあるし、会いたい人がいても人数が多すぎる場合はその集まりにはいかずに、こっそり1対1であったりする。
人数が多い会はそれだけで行きたくない。外部からの刺激に弱い私には体力消耗が激しく、その後1週間ほど後を引いてしまうからである。ベストは4人、多くて10人くらいまでが許容範囲か。それ以上はほぼ問答無用で行かない。
あとは、結婚式とかセレモニー関係。完全にそのホストとの関係のみで考える。本当にお祝いしたい、お金を払ってでも祝いたいときは行くし、そうでもない時はなんだかんだ理由をつけてお断りして、当人の欲しいものを買って送る。
まあ、誘われた会もだいたい行ったら楽しいんだけどね…。

 

自分の気分を優先する

 

具体的に言うと、自分がドタキャンすることを許した。昔は時間に遅れてくる人のことも、ドタキャンする人のことも、行くって言っといて結局来ない人のことも全員敵だと思っていて、「ホントに失礼だ!」と都度プンスカ怒っていたのだけれど、これってそのイベントを「楽しみにしすぎ、執着しすぎ、自分に義務化しすぎ」だったんだと気づいた。自分だって気がのらない日も、イベントもあるわけで、それには素直に従うと決めた。最初から、ドタキャンするかもなどと仲間には伝えておいて、条件付きで参加するようにしてから、ずいぶん気楽になった。ルーズな奴らを許せるようになったことも大きい。

 

タイミングは重要、お誘いは相対的に増える

 

そんな風に、行きたい行きたくないで予定を決めていると、自然と人に会う予定が減った。以前の私なら、それだけでとても不安になったものだが、予定がぽっかり空いていることも悪くないなと思えるようになった。なぜなら、その空いているところに、「急なお誘い」とか「直前で見つけたイベント」を入れられるようになったからだ。そういうものは、「行きたい!」と思うものの、自分が勝手に入れた予定が邪魔して行けないことも多かった。やはり、ぴんときたものに参加するとうれしさが違うし、得る者もとても多いように思う。
結局、そういう風にのんびり構えていることで、お誘いが増えたような気がする。もしかしたら、前から同じくらいお誘いがあったのを、最近はありがたく受け取れるようになったのかもしれない。「これだけしかない」という思想が「これだけある」に変わっただけという説もある。

 

 

新しい仲間を作る

 

過去の人間関係だけにこだわるのはやめて、いま目の前にある人間関係の中から、または、今後どんな人と関係性を作っていきたいかを考えて、新しい人間関係を作るのにも少しずつ手を伸ばし始めた。

 

過去の人間関係をというのは確かに楽なのだけど、私が変わっていく以上、ずっとその関係で何かを共有し続けるというのはできないわけだ。周りの友達と合わなくなっていくのは自分が変化している、チャレンジしているという証拠だと思って、少々面倒かつ消耗することではあるが、新しい仲間を作っていくことも重要だなと思っている。

仲間は譲れないコアを残しつつ、広く浅く

 

古い仲間は取捨選択されて、本当に自分の中でもコアな人だけが残る。そういうコアな人というのは、表面的な話題が共有できなくなったとしても、会ってなんということもない話をしたり、時間を共有することで気持ちの面でとても癒される。こちらからも掛け値なく何でもしてあげたいと思える。

新しい仲間は自分の属性の何かに対して共有できる人で、これは広く浅くが基本だろうと思う。何もかもを一人の人に集中させるより、人を分散しておいた方が気持ちとしては楽だ。

インドネシア語の友達

 

同じ職場にインドネシア人がいるが、その人の言ったことがあまりに面白かったので、笑い転げたことがあった。彼は日本語はできるが、電話には苦手意識があるようで、何か業務関係の電話をしていて細かな説明ができず、事務担当の同僚に電話を替わるときに、電話口の相手に

「僕のともだちに代わります。」

といったのだった。私はその発言にびっくりした。事務担当の同僚は彼と別に「ともだち」ではなかったからだ。私は即座に「友達じゃないでしょ。」と突っ込み、周りの日本人はみんなで笑った。彼はぽかーんとしていた。

話を聞いてみると、インドネシア語には日本語の同僚、先輩、後輩、知り合い、同期等に対応する語句はなくすべて「友達」という語句であらわされるらしい。その話を聞いたとき、ああ、日本人は人間関係に対する語句がいっぱいあることでずいぶん悩みが深くなっているんだろうな、と思った。彼のように誰でもなんでも友達だと思えたら、ずいぶん人生は生きやすくなるんだろうと思った。

 

おしまい