自分のコントロールできることだけに集中する

先日、同居人と同居人の母と旅行に行ってきた。同居人とその母が見つけた宿に2泊してきたのだが、なかなかいい旅行だった。ものすごく疲れたが。

受け身の旅行

 

今回の旅行、私は計画に完全ノータッチであった。だから、宿もどんなところか、直前になるまで知らなかったし、行く前にネットでちょっと見たくらいだった。そのたびのことを考えると、私がいやになる要素というのが実はたくさんあったのだが、私はそれを考えた後、まあいいか、行ってみるか、と思って旅をスタートした。私の想像したことはまあまあ現実になったけれど、私の想像をはるかに超えるような不幸な出来事は起きなかったし、まあまあ現実になったそれらのことだって、冷静に考えればそんなに大したことではなかった。それよりも、楽しいことも多く、素晴らしい日帰り温泉の施設を一人堪能で来たりして、収穫もいっぱいあった。もちろん、特性上、不測の事態に対応する力があまりないので、スムーズでほんの少しの問題すら起きない旅のほうが私は好きなのだが、まあ、だれか周りにフォローしてくれる人がいれば、こういう受け身の何にもしない旅もあってもいいかと思った。

器の大きさ

 

受け身の姿勢で幸せにいるためには、器が大きくなければいけない。受け身でいる以上、何が起きても自分でコントロールしないと決めているようなものなので、そのコントロールできないことをがしーんと受け止める器の大きさが重要なのである。そして、そのコントロールできない中で、自分のやりたいこととか欲しているものを貪欲に伝え、実現してもらう(または実現する)という、ある意味のわがままさが自分を幸福にする。大体、そういう人が勝手に幸福になっている集まりというのはとにかく楽であるので、企画した人もほっとする。好きなことをしたいだけやったのにもかかわらず、企画をした人からお礼を言われたりする。決して私は器が大きいわけでもないけれど、受け入れるところと主張するところのバランスが良くなってきているなあ、と最近思う。

自分のコントロールできることに焦点を当てる

 

受け身だろうが自発的だろうが、幸せに生きていくうえで大切なのは自分のコントロールできないことには目くじらを立てないこと。電車が遅れることや同行者が遅刻することはコントロールできないことなので、考えても仕方ない。でも、そこに意識が行き過ぎると、ものすごく腹が立つようなことになり、それを隠そうと必死になったりするのだが、隠しきれずに不機嫌を引きずる。結局大切なのは自分自身がいい気分でいることなので、自分のコントロールできることにだけ焦点を当てて、そこに集中すると大体いい気分でい続けられる。あと、もし不機嫌になったとしても、それを隠さないでぱっと出してしまったほうが、気持ちの切り替えが楽である(相手が特別親しい人に限るけど)。

 

おしまい