あなたは助かりたい人ですか?

先日、結婚のお祝いに、仲間が二人遠方から駆けつけてくれた。二人とも長い付き合いで、3人そろえば会話が止まらず、私の家で夜中の2時まで話し込んで、オット氏から驚かれた。3人とも理系の技術者として仕事をしており、それぞれ違うキャリアだが仕事で引っかかるところなんかの話をしていると、とてもシンクロする部分もあるし、それぞれ育った家族がやや問題があったりして、いろんな話をしていて深くしみていく感じがする。

ひとりは仕事が忙しいといって、次の日早々に帰って行ってしまったが、もう一人はゆっくりとくつろいでいき、いろんな話をした。その中で、仲間が言っていた、「対自する相手は助かりたい人か」という話がとても印象的だった。私もその仲間も、育った家庭に問題があったり、婚約者にいきなり別れを切り出されたりと割とヘビーな(まあ、ある意味普通の)体験をしてきていて、鬱になってみたり、ささくれて迷走して拗ねてみたりという道のりをたどったのだが、今はそれぞれにパートナーを見つけ、自分の生きる道を自分で選び、責任を持てるようになった。お互いに「助かりたい」と思って、いろんな方法を試して、もがいてきた。

自分の過去と向き合うことは結構しんどいことで、誰かの支えが必要になることも多いと思う。その過程でいろんなところに頭をぶつけるけれども、必ず前に進むし、人生はよりよく楽なると思う。でも、あきらめたら試合終了なのだ。自分の親が、家庭が~、前の彼氏が~と過去を振り返って撫でまわして、それをアイデンティティにしている限り、その枠からは出られないし、その枠の中で起こるべきことが必ず起こり、同じことに苦しむ。その不毛なループから抜け出すには、どこかで「助かりたい」と心に決めて、”変化”という勇敢な選択を重ねていかねばならない。それは、辛い努力ということではなく、自分の本当に心地よいことを選んでいくということなのだけれど、それは時に自分の感情を激しく揺さぶる、しんどい瞬間も多く訪れる。それが辛くて、あきらめて元の箱に戻ってしまう人もいる。

仲間曰く、助かりたい、と思っていて何かを求められれば、できる限り協力してやりたいけれど、助かることをあきらめている人とはできる限り距離を置く、こちらもあきらめる。と。助かることをあきらめている人は、自分を変えることなく自分の環境や周りの人に自分の感情の責任を押し付ける。生きる実感を怒りや自分が傷つくことに求め、自分が常に被害者になれるように加害者をねつ造し、その加害者から怒りのエネルギーを吸い取り、巻き込み、自分と同じ舞台に引きずり込もうとする。そういう精神状態のとき、人の話を素直に聞けなくなるから、何を言っても結局は難癖をつけられ、結局被害をこうむるのはこっちだ。そういう人の相手をするのは、普通の人には手に余る。仲間は、その努力をするのは無駄だと言い、私も深く同意した。助かることをあきらめた人の相手をするのは、私たちには手に負えないね、と話し、笑いあった。

「助かりたい」というのは、つまり、自分を大切にする行動を、建設的にやっていこうと思っているか、ということだ。自分と他人を切り離し、自分のどんな感情も肯定しつつも自己完結もしくは自分の一番大切な人達の中で解消し、自分の気持ちの良いものを選び、嫌いなものからは遠ざかり、毎日の幸せを自分の責任にできるように、なりたい、と願うことだ。人を感情のゴミ箱にせず、周りを尊重しつつも、自分を楽しくさせることに常に集中できる、メンテナンスフリーな人。私もそうなりたいとずっと思っている。あなたは助かりたい人ですか?

 

おしまい