読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ちょっとだめな自分を見せてみるというトレーニング

topisyu.hatenablog.com

 

私もこれはずっとモヤッとしてた。最後の3行部分は以下に引用します

たぶん「いい子」戦略に長く浸かってきた人は、他人に自分のダメなところを見せるのが怖くて怖くてたまらないと思います。そういう人に「ダメなところさらけ出してもいいんだよ」と言っても簡単には実行できないでしょう。

 

時間がかかってもいいので、自分が思う本当の自分を少しずつ少しずつ出していって、「ここまでオッケーなんだ!」って思える範囲を少しずつ広げていくというのが「いい子」戦略からのソフトランディングする方法の一つとしてあると思います。

 ほんとうに、この通りで、少しずつダメなところを見せてみると、周りの人は「え?隠してるつもりだったの?いまさら~。知ってたよそんなこと。」というような反応を示す。それを重ねていくと、自分の自己肯定感も育つ。

「ちょっとずつダメな自分を見せる」を実践してみたら

私の場合、小さい頃からずっと「しっかりしてる」「賢い」「頭いい」がお決まりの褒め言葉だった。自分としてはドジも踏むし、別に成績だって飛び抜けていい訳じゃないし、大学だってそこそこで、とてもしっかりしてるとは思えなかったし、特に「賢い」系の褒め言葉を言われると、全力で否定したりしてた。でも、だからこそ、いつからか、しっかりしなきゃ、賢く頭良くなきゃ、皆は嫌いになっちゃう、社交的でいなきゃ、優しい人にならなくちゃ、と完璧主義に走り、自分をどんどん追い詰めた。

で、追い詰められて、しんどくなって、観念して少しずつ、人に頼ることを意識してやるようになって、自分のヘタレなところ、別にしっかりもしてないし、賢くもないところをすこしずつ見せていくことで、「あれ?べつにわたししっかりしてなくても、賢くなくても、ここにいていいんだ」と思えるようになってきた。

もちろん、私のことを「しっかりしてるから」「努力してるから」という理由で、好きでいてくれたり期待したりしていた人は、離れていったかもしれない。「かもしれない」というのは、自分のほんとうに大切に思っている人は、誰ひとりとして、私がだらしなくて、ぼんやりしているアホなところを見ても、離れていった様子はなかったから。もしかしたら、もっとつながりの弱い人は嫌になったかもしれない。

ちなみに、オット氏は私のことを評するときに必ず「賢い」というのだけれど、それにものすごく不安になった私は一度「賢くなかったら、好きじゃない?」とめんどくさいことを聞いたことがある。氏はポカーンとした顔をして「ん?どんな君でも君は君、全部オッケーと思う」と答えた。私もなんだかポカーンとして、「あ、そっか」と思った。疑問に思ったら、その相手に聞いてみるといいと思う。(やり過ぎはウザイが)

悪いところ”だけ”を見せるのとは違う

ただ、これをやっている間、ミスったなと思ったのが、自分のだめなところを見せるのはいいにしても、わざとダメなところだけずっと見せ続けるってのは、精神衛生上よくない。ダメなところはあるにしても、やはり、自分の理想の言動、自分が気持ちよくなる言動というのはあって、それから大幅に離れたことばっかりしていると、なんとなく気分も沈むし、楽しくないのだ。だから、当然、いいところだって見せていい。ダメなところだけ見せ続けるのは、一種の試し行動で、やりすぎると周りの人たちも引いていく。

じゃあ、どういうバランスでやるか、というと、常に自分に「私は今どうしたい?」と問いかけるようにすること。そこで出た答えに従うこと。そうすると、いいところもダメなところも、自分の心地よい程度に出せるようになってくるように思う。

 

では、素敵な週末を。

おしまい