愚痴は惚気の一種かもしれない

今日はちょっと文体変えてもいいすか。ですますで書きます。

この間の記事を書いてから、愚痴周りのことを考えています。で、出た結論は「私は心置きなくグチグチ言える人がうらやましい」というのと「愚痴は一種の惚気と自慢ということでいいのではないか」と言うものです。

この間の記事を書いてからも、愚痴のことが気になって、何やら考えていて、なんでこんなに愚痴のことが気になって、引っかかってしまうのだろうと自分に問いかけてみました。すると結局、私は、愚痴を言いたいだけ言って、別に現状を帰る気もない、向上心のない(ように見える)人でも誰かに必要とされ、受け容れられて生きていることに対して、嫉妬しているだけだったようです。自分には愚痴なんか言ったらいかん、文句があるなら、変える努力をしろ!と追い詰めて、結構厳しく生きてきたので、自由にグチグチ言う人のことが羨ましくなったようです。なんだ、そんなことか。私も愚痴を言っていいし、相手も愚痴を言っていいのです。そうやって許した上で、自分はどうしたいかを考えて実行できるようになりたいものです。やさしくなりたい。

あと考えてたんですが、愚痴って一種の惚気と自慢じゃないかなと。旦那への不満は実は惚気を隠そうとしたものってことあるじゃないですか。たしかに私も、なんか達成したことを伝えようとして、ちょっと愚痴みたいな形にして話した記憶があります。達成したこととか、自分にとっていいことって、ちょっとストレートにやったぜって言えないですよね。愚痴よりも、自慢のほうが嫌がられるし。そういうときに愚痴を言うこともあるのかもしれません。文句の意味でなく。そもそも、愚痴が停滞、つまり安定したときに出るものだとするならば、その人はなによりも「安定」が嬉しいから愚痴っているのかもしれない。そうやって、その人の安定が守られているのかと思えば、それはそれでいいではないか、と思ったりしました。

 

ま、いろいろ考えたけども、余り私には愚痴を受け入れるキャパはないことは事実なので、他の話に切り替えて、楽しい会話をしたいと思うタイプです。

 

おしまい